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ハイライト

日本の労働人口は減少の一途をたどり,鉄道業界ではメンテナンスを含む運行業務の人財確保が大きな課題となっている。事業の持続可能性を高めるためには,社員の働き方に対する課題や将来への要望,そして価値観を理解して働き方改革をすることが必要である。

日立製作所はこれまで,SFの持つ創造性を通じてありうる未来像について議論し,必要な技術を逆算してビジネスに活用する方法としてSFプロトタイピング手法を開発してきた。今回,鉄道メンテナンスのDXを目的として,東京地下鉄株式会社との協創を通じ,SFプロトタイピング手法を用いたAI時代の働き方の将来像とその実現に向けたロードマップを策定した。

本稿では,SFプロトタイピング手法を活用した協創プロセスとその結果について述べる。

目次

執筆者紹介

渡辺 正俊Watanabe Masatoshi

  • 日立製作所 鉄道ビジネスユニット 鉄道システム&デジタル事業部
    モビリティイノベーション本部 デジタルレールイノベーション部 所属
    現在,鉄道保全業務における課題の解決を目的としたDX開発・推進活動に従事

島田 誠人Shimada Seito

  • 日立製作所 研究開発グループ デザインセンタ UXデザイン部 所属
    現在,鉄道領域における社会イノベーション事業の創生に向けた協創活動に従事

吉治 季恵Yoshiji Kie

  • 日立製作所 研究開発グループ デザインセンタ UXデザイン部 所属
    現在,鉄道・地域活性に関する社会イノベーション事業の創生に向けた協創活動に従事

高田 将吾Takada Shogo

  • 日立製作所 研究開発グループ デザインセンタ ストラテジックデザイン部 所属
    現在,鉄道・地域活性に関する社会イノベーション事業の創生と社会実装に向けた協創活動に従事

梶本 慧斗Kajimoto Keito

  • 東京地下鉄株式会社 鉄道本部 安全・技術部 所属
    現在,自動運転の実現に向けた技術開発業務に従事

加登野 公助Kadono Kosuke

  • 東京地下鉄株式会社 鉄道本部 電気部 所属
    現在,保全業務の生産性向上を目的とした鉄道電気設備の状態監視技術の開発・推進活動に従事

1.はじめに

日本の労働人口は減少の一途をたどり,幅広い産業分野における社会課題となっている。特に鉄道業界では,若手社員の雇用流動性の高まりや求人倍率の低下を原因に,メンテナンスを含む運行業務の人財確保が大きな課題となっており,東京地下鉄株式会社(以下,「東京メトロ」と記す。)でも同様の課題を解決するため,業務変革および働き方改革に取り組んでいる。

業務変革を含めた働き方改革を効果的に推進するためには,若手社員を含む現場社員の現在の働き方に関する課題,未来の働き方に対する要望,およびそれぞれの価値観を理解することが必要不可欠であり,現場社員からの本音の意見や既存の枠を越えた将来的な提案を引き出すための効果的な手法やプロセスを検討する必要があった。

日立製作所研究開発グループのデザインセンタは,これまで,SF(Science Fiction)の持つ創造性を通じてありうる未来像について議論し,必要な技術を逆算してビジネスに活用する方法としてSFプロトタイピング手法を開発してきた(図1参照)。SFプロトタイピング手法は,SF的な発想を基に,まだ実現していないビジョンの試作品としてプロトタイプ小説を作ることで,他者と未来像を議論・共有するための手法である1)。プロトタイプ小説を介してステークホルダーの自由な発想を促進し,既存の企業が持つ文化や制度に拘束されることなく,調査対象者自身の本音としての課題や価値観,将来像に関する意見を容易に収集でき,ソリューション開発や施策の検討に生かすことができる。

今回,鉄道メンテナンスにおけるDX(デジタルトランスフォーメーション)に向けて,現場社員から本音の意見や既存の枠を越えた将来的な提案を引き出すべく,SFプロトタイピング手法を活用した協創プロセスを試み,東京メトロ電気部と共に働き方の将来像とその実現に向けたロードマップを策定した。

図1|SFプロトタイピング手法の概略図1|SFプロトタイピング手法の概略 注:略語説明 SF(Science Fiction) SFプロトタイピング手法とは,未来のストーリーとしてのSF小説を通じて,科学技術や社会問題の影響を洞察し,未来の課題や価値観を議論する手法である。

2.SFプロトタイピング手法を活用した協創

本協創では,SFプロトタイピング手法を活用した働き方に対する課題感や価値観に関するインタビュー調査(Phase 1)および,その結果を活用したメンテナンス業務の将来像を検討する協創ワークショップ(Phase 2)を実施した(図2参照)。

図2|SFプロトタイピング手法を活用した協創プロセス図2|SFプロトタイピング手法を活用した協創プロセスSFプロトタイピング手法を用いてインタビュー対象者の課題や価値観を抽出したのち,ワークショップを通じて働き方の将来像とソリューションアイデアを創出した。

2.1 SFプロトタイピング手法を活用したインタビュー調査(Phase 1)

(1)インタビュー概要

本調査では,東京メトロ電気部における現在の働き方に関する課題,未来の働き方に対する要望,およびそれぞれの価値観を理解するため,設備保守業務の経験を持つ若手社員8名に対してインタビューを実施した。事前に,日立製作所が作成した2050年の架空の鉄道事業者を舞台とした鉄道保守員を描くSF小説(図3参照)を共有し,その内容に関する意見を取得した。その後,意見を基にインタビュー項目を設計し,半構造化形式で一人当たり1時間から1時間30分程度の聞き取りを行った。さらに若手社員の抱えるメンテナンス業務の課題背景やマネジメント層との価値観のギャップを明らかにするため,マネジメント職3名に対してもインタビューを実施した。

(2)インタビュー結果

本調査の結果,SF小説内の架空の鉄道事業者とその登場人物の働き方に対して自由に意見を述べやすいこともあり,現場社員が感じている現状の課題だけでなく,将来の保守業務を想像したうえで障壁となる課題も引き出すことができた。また,架空の登場人物の意見を提示することで,その人物への共感・反感をきっかけに対象者の価値観理解につながるコメントも得ることができた。以降,結果を抜粋して紹介する。

現場業務の課題の一つとして,業務知識の継承が挙げられた。事務作業や事故対策などで上司の仕事量が増えたことにより技術を伝承する余裕がなくなっていることや,各設備特有のノウハウを業務外でマニュアルとして更新する負担が大きいことにより,結果として業務知識の継承に課題があることが分かった。また,設備の仕様や図面を探すことが難しく自主的に業務知識を学習することが容易ではないなど,数々の課題が浮き彫りになった。

次に組織の課題として,仕事の背景や意義を理解できるように,自分の仕事が業務フロー全体のどこに位置づけられているか把握したいという意見が挙げられた。そのほか,多種多様な設備が増加する中で,担当設備を細分化しスペシャリストを育成する体制にしないと複雑な故障対応時に困ることがあるといった課題も浮かび上がった。

最後に,乗客を安全に目的地へ届けるという,鉄道運行を支える意義深い仕事にやりがいを持つことを重視していたマネジメント層に対し,若手社員はやりがいを持つことに対して肯定的でも否定的でもなく,自分自身が行っている仕事の理由や位置づけが分かることを重視しており,一部の若手社員とマネジメント層間の価値観のギャップが明らかになった。

図3|実際に使用したSF小説のイメージ図3|実際に使用したSF小説のイメージこの小説では,2050年の架空の鉄道事業者を舞台に,異なる価値観を持つ3名の鉄道保守員へのインタビュー形式で物語が進む。

2.2 働き方の将来像を検討する協創ワークショップ(Phase 2)

(1)ワークショップ概要

若手社員の視点からメンテナンス業務における働き方の将来像とその実現に向けたロードマップを構想してもらうため,設備保守業務の経験を持つ若手社員7名と顧客協創方法論「NEXPERIENCE」2)を活用した協創ワークショップを複数回にわたって実施した。ワークショップでは,アイデア創出手法(NEXPERIENCE/Service Ideation※1))や,日立製作所が作成したツール[サービスパターンカード※2),人工知能(AI:Artificial Intelligence)活用パターンカード※3)]を用いて,Phase 1で得られた働き方の課題に対するソリューションアイデアを創出した。そして,働き方の将来像とそれを実現するロードマップを策定するため,ソリューションアイデアの関係性や順序について整理した。

(2)ワークショップ結果

Phase 1でSFプロトタイピング手法を活用したことによって,Phase 2の協創ワークショップでは,未来から逆算した思考や発言を誘発するとともに,現場社員の意見を反映したアイデアの創出(図4参照)と,働き方の将来像とその実現に向けたロードマップ(図5参照)を策定することができた。そして,DX施策だけでなく,実運用に必要となる社内制度設計の見直しといった,ソリューション適用に必要な下地づくりにまで議論を発展させることができた。この結果は,今後東京メトロとして実施する必要があると考えられる施策を多く含んでおり,これからのソリューション開発に生かすことができる。以降,結果を抜粋して紹介する。

数多く創出されたアイデアの一つに,現場社員の業務やスペシャリストの育成を支援するアイデアが挙げられる。今後も鉄道運行に関わる設備が多様化・増加することが予想される中,業務知識や経験が不足している現場作業者でもマニュアルを見て業務を推進できるように,マニュアルの整備と共有・検索による業務知識継承を推進する「マニュアルの標準化・デジタル化」といったアイデアが創出された。その際,「マニュアルを簡単に整備できるようなサポートツールがあるとよい」といった声が聞かれた。

そのほかにも,蓄積したマニュアルデータやノウハウをAIに活用し,ヒューマンエラー防止や知識継承などの業務支援に活用するという将来を見据えた,「AIとの協働」といったアイデアも創出された。「業務で分からないことがあったときに,曖昧な質問でも回答してくれるとよい。今すぐにでも欲しい仕組み」,「若手社員だけでなくベテラン社員にとってもよいサポートツールとして受け入れられるのでは」などの意見が聞かれた。これらのアイデアから,「ノウハウや知識に誰でもアクセスできることで,自分の力で仕事を推進し,スペシャリストになれる」という働き方の将来像が策定された。

加えて,「スキルにあった仕事ができ,自分の頑張りが正当に評価されることで,働き続けたい組織に」という働き方の将来像も見えてきた。働き手のやりがいや価値観が多様化する中で持続的に働くことができるように,自分の業務の位置づけが理解できる業務フローの可視化や,働き方に対する姿勢や成果で評価される仕組みとして,「業務/成果/フィードバックの見える化」といったアイデアも創出された。また,「スキルマップによる能力の見える化」や「性格診断による個人特性と仕事内容のマッチング」といったさまざまなアイデアももたらされた。その際,「より自分の仕事に納得して向き合うことができる」,「人事異動を前向きに捉えられるようになる」などの意見が聞かれた。

こうしたアイデアの創出,および働き方の将来像とその実現に向けたロードマップの策定を通じて,「マニュアルの標準化・デジタル化」といった現場業務のDX施策だけでなく,「業務/成果/フィードバックの見える化」という,組織や制度に対する改善施策も並行して進める必要があることが分かった。

※1)
サービスアイデアを創出することを目的に,価値・課題・製品/技術を俯瞰しアイデア検討するための手法およびフレームワーク。
※2)
イノベーティブなサービスアイデアの発想を得ることを目的に,社内外のサービス事例を類型化したカード。
※3)
AIを活用したサービスアイデアを具体化することを目的に,日立のAI活用事例を類型化したカード。

図4|ワークショップで創出されたソリューションアイデアの例図4|ワークショップで創出されたソリューションアイデアの例ワークショップで創出されたソリューションアイデアを表現したイラストを示す。

図5|ワークショップで創出された働き方の将来像とその実現に向けたロードマップ図5|ワークショップで創出された働き方の将来像とその実現に向けたロードマップワークショップで創出されたソリューションアイデアと働き方の将来像を,「現場の業務計画」,「現場の実業務」,「組織・人事」という三つのレイヤーでロードマップとして整理した。

3.おわりに

今後,日立製作所は東京メトロとの協創を通じて,働き方の将来像を実現する具体的なソリューションについて議論を続けるとともに,東京メトロで働く人々,企業文化,組織の特性に合わせた技術の適用を探求していく。本研究で用いたSFプロトタイピング手法を活用した協創プロセスは,各企業内の多様で複雑な課題を引き出し,深く理解するだけでなく,実際に現場で働く人と共に,将来的に必要となるソリューションを検討することに貢献できるプロセスであると考える。日立製作所はこの手法をさらに発展させ,鉄道事業者のみならず,幅広い企業のDXを推進し,働き手の働きがい向上や職場環境の改善と効率的な働き方の実現に貢献していく。

参考文献など

1)
宮本道人 外,SFプロトタイピング:SFからイノベーションを生み出す新戦略,早川書房(2021.06)
2)
日立製作所,NEXPERIENCE