シリーズ「デジタルで高度化するヘルスケアソリューション」 (1)
近年,高齢化に伴う健康寿命延伸や医療費の増大,バイオテクノロジーの急速な進展を背景として,高度な診断技術や医療費の抑制,個別化医療の促進などのニーズが高まっている。
本シリーズでは,日立のデジタル技術を活用した高度なヘルスケアソリューションに焦点を当て,ウェルビーイングな社会の実現に向けた取り組みと今後の方向性を紹介する。
無菌医薬品の製造を担う無菌製剤施設や再生医療などの細胞加工製品の製造を担うCPCでは,患者の安全性確保の観点から細胞の取り違い防止やトレーサビリティの確立が求められている。これらのニーズに対し,患者と医療機関,CPCをシステムでつなぐことで,さらなる管理強化を図った。本稿では,特にCPCのデジタル化に向けたモジュール基板(制御基板)の開発により,高度なヘルスケアソリューションを実現するさまざまな取り組みについて述べる。
日立は,顧客が真に求める細胞培養加工環境の提供と効率的な保守管理を通じて,再生医療を必要とする患者が有効な治療を安心・安全に受けられる社会の実現をめざしている。
従来の医薬品は,低分子化合物や細胞の分泌物を薬として使用してきた。近年では,体を構成する細胞を加工し,対象疾患に投与して治療する再生医療が広く研究され,実用化が強く期待されている。
再生医療の細胞は主にCPC(Cell Processing Center:細胞培養加工施設)で加工する。CPCでは工程ごとに部屋をゾーニング(区画分け)し,各ゾーンで基準に則した高い清浄度を保持することで無菌クリーンルームを構成している。その特長の一つとして,空気清浄度および製造工程の各部屋間の室圧がグレードにより分類管理される点がある(表1参照)。
CPCは各部屋のダクトによる温度・湿度・室圧・清浄度を制御する方式が一般的であり,構造の複雑化がダクトスペースの増加ならびに工期の長期化につながっていた。日立グローバルライフソリューションズ株式会社は従来方式に代わり,FFU(Fan Filter Unit)を用いた天井内ノンダクト工法を採用することで,各部屋の室圧・清浄度の確保を可能とした次世代モジュール型CPCを2019年に開発し,国内外で納入している。
再生医療において細胞の取り違えは,医療事故につながる事象である。このため患者の細胞採取から投与までの情報をトレースすることが重要であり,細胞加工プロセスのトレーサビリティ強化は,バリューチェーンにおいて喫緊の課題となっている。
CPCにおける細胞培養作業では集中力を要する繊細な作業が多い一方で,人手不足から培養士が培養作業以外を兼務するケースが多い。細胞培養の品質確保と生産性の観点から培養士が細胞培養作業に集中できる環境づくりが望まれている。
これまで日立は再生医療等製品バリューチェーン統合管理プラットフォーム(HVCT RM:Hitachi Value Chain Traceability Service for Regenerative Medicine)1)により再生医療に携わる製造機関・輸送機関・医療機関などの複数関係者が共通のクラウド上で情報連携するサービスを提供し,トレーサビリティ確保に貢献してきた。またCPCにおける一連の細胞培養プロセスの指示,記録を担う製造・品質管理システム(HITPHAMS:Hitachi Pharmaceutical Manufacturing Execution System)2)により規制要件が求める厳格な管理と製造業務の効率化にも貢献してきた。
CPCにおける課題の解決に向け,OT(Operational Technology)・ITシステムを導入することで細胞培養加工プロセスのトレースが容易となるよう取り組んでいる(図1参照)。
図1|CPCのシステム構成図 CPC(Cell Processing Center)とシステムのデータ連携イメージを示す。
空調制御は温度・湿度センサーを指示調節計に接続し,PID(Proportional-integral-differential)制御を用いて所定の設定値内に入るよう空調機に対して信号を出力している。また清浄度を確保するためのFFU制御では,指示調節計からPLC(Programmable Logic Controller)に対し,室圧を信号として入力し,PLCのプログラムに沿ってFFUの回転数を制御することで,室圧の調整を行っている。
温度・湿度・室圧・清浄度および空調機やFFUの運転データをITシステムに取り込む場合,データ収集用にPLCやSCADA(Supervisory Control and Data Acquisition)を別途準備し,各機器とITシステムとの通信を取り持つことが一般的である。そこでパッケージ化に向け,指示調節計とPLCによる制御機能を集約し,ITシステムとの通信インタフェースをあらかじめ組み込んだモジュール基板を新たに開発した(図2参照)。ITシステム通信機能の拡張性を有することで,トレーサビリティの管理と連携するシステム構築の簡略化を図り,CPCのIoT(Internet of Things)化(以下,「IoT-CPC」と記す。) の早期立ち上げを通じて,患者への安心・安全な治療の提供に寄与する。
図2|従来システムとモジュール基板の比較 空調・室圧制御のモジュール基板の制御範囲とデータクラウドとのつながりを示す。
HITPHAMSは,患者細胞の入荷から製品出荷までのCPCにおける一連の細胞培養プロセスに対応したパッケージシステムであり,細胞に使用した原材料情報のトレース機能や照合による細胞の取り違え防止機能を有している。CPCとのパッケージ化に向け,前述のHVCT RMとHITPHAMS間の標準通信インタフェースも,モジュール基板と平行して開発を進めている(図2赤線部参照)。これにより細胞に関する記録が双方向につながり,複数の関係者をまたいだ業務運用をシームレスに構築することで,患者の細胞採取から投与までのE2E(End to End)でのトレーサビリティの実現と安全性確保に寄与する。加えてHITPHAMS およびHVCT RMはいずれもSaaS(Software as a Service)によるクラウドサービスであり,システム運用負担の軽減にも貢献する。
CPCでは細胞培養のプロセス品質の確保を目的に,空調制御機能と各室グレードの性能が当初計画した性能を満たしているかの検証(バリデーション)として,校正された測定器を用いた温度・湿度・風速・室圧・清浄度などの測定を行う。経年による機器の性能変化の可能性から定期的なバリデーションを通じ,初計画した状態を維持する。
定期バリデーションには機器の専門知識を必要とするため,日立グローバルライフソリューションズは定期的なバリデーションの業務委託を請け負っている。一方でバリデーション作業は複数の作業員で検証する必要があり,対象機器の操作と別部屋の制御盤やモニターなどの測定値について双方で連絡を取りながら同時並行で行うため,多くの労力を要していた。また定期バリデーション期間中はCPCの細胞培養作業が行えないため,バリデーション期間の短縮も望まれていた。
そこで前述のHITPHAMSの校正管理機能を活用した新たな業務運用を構築した。空調機器の測定値はモジュール基板を介してHITPHAMSにて取り込み,記録する。これによりバリデーション業務をデジタル化し,作業品質を向上しながらも従来より少ない作業員数での対応が可能となり,より効率的な業務の見通しが立った。機器の校正に関する作業期間は従来比で約3割減の見込みである。定期バリデーションの作業期間短縮により,CPCの稼働率向上を通じた患者への治療法の早期提供に寄与する。
本稿では,モジュール型CPCにOT,ITシステムを組み合せたアップグレードについて述べた。現在,IoT-CPCに蓄積した各種データを活用した新サービスの開発を推進中である。
今後,再生医療の関連技術の海外展開を推進するべく,パートナー企業との連携を強化し,社会に貢献できるソリューションをグローバルに連続して提供できるよう,技術開発を継続していく。