Web3.0,メタバース,生成AIに象徴されるサイバーシステムが身近な存在となり,人とデジタル技術の共進化は加速している。その先に見える望ましい将来像である「人や組織が最大限に能力を発揮している」社会を実現するには,テクノロジーの提供だけでなく,サイバーシステムを社会に根付かせる仕掛けが必要である。
日立は,過去の社内外の協創事例21件をひも解き,サイバーシステムの社会実装における重要な観点として「法律・規制」,「文化・習慣・トレンド」,「ルール・ガバナンスの形成」,「ステークホルダーとの協調」の四つを導出した。さらに,それらの観点で過去の事例の特徴的な活動を整理し,社会実装アクティビティパターンとしてナレッジ化した。
本稿では,こうした取り組みの詳細を紹介するとともに,ナレッジの継続的な蓄積,活用に向けたシステムの整備など,今後の展望について述べる。
デジタル技術の浸透や物流網の発達により不確実性が加速している。世界の人々の結びつきが強くなり,人々の自律的な行動が,予期しない速度で予期しない範囲にまで影響するようになったためである。さらにCOVID-19によるパンデミックが,私たちの社会に大きな影響を与えた。その影響の中でも特筆すべきことは,感染防止のために外出抑制がなされる中でデジタル技術の活用が進み,さらにはWeb3.0・メタバース・生成AI(Artificial Intelligence)などのサイバーシステムを,人々がより身近なものとして捉えるようになった点である。
本稿では,サイバーシステムを「それまでつながっていなかった人や組織,モノをつなぐことで,個人や組織が能力を発揮し,人や組織の関係性を変え,社会の可能性を広げるシステム」と定義する。
サイバーシステムが普及した2030年頃の社会の変化を描くために,日々のきざしから導出した七つの観点を図1に示す。サイバーシステムはコミュニケーションの取り方,知見の共有の仕方,組織のあり方を変え,グローバル化をさらに加速する。それにより,これまで当たり前としてきた稼ぎ方や働き方,倫理観,そして生活者の人生設計にまで影響が及ぶことになる。
また,図1の七つの観点を起点にして想定される変化を可視化した具体例を図2に示す。「いきなりエキスパート」は,体験の拡張の例であり,特定の状況下で必要な専門知識や体験を,時空を超えて短時間で獲得し,実社会に適用することが可能になる。「森羅万象すべては私の手の中で」は知識の拡張の例であり,自己の行動を決定するのは変わらず自分自身だが,所属する社会の状況を把握することで,例外的なケースでもより正確な判断ができるようになる。この過程で,多様なセンサーや,それに基づく予測機能が人間の英知を拡張する役割を果たす。「推し活こそが私の国」は,コミュニティの拡張を示す例であり,人と人との関係に限らない多様なつながりの中で,さまざまな対象の「推し活」が,実経済を動かすコミュニティを形成していく様子を述べている。
前章で述べた三つの拡張の例は,デジタル技術が継続的に変化する少し先の未来を描いたものである。この変化により,デジタル技術を使いこなす人々の価値観や考え方,行動にも変化が生じている。サイバーシステムが普及した社会では,人とデジタル技術は相互に影響し合いながら進化するという終わりのないプロセスにある。この共進化を軸として,時間とともに変化する社会の断面を図3に示す。
第一段階は現在で,生成AIの登場により,デジタル技術が単なる便利な道具以上の存在となり,人のパートナーとして日常的に使われ始めている状況を指す。次の段階では,「人やAI,組織,モノがつながり,やり取りが増える」段階に入り,AI同士の連携やさまざまなセンサーからのデータ,分析技術が普及し,地域や企業が経済効率などの評価指標に応じて進化し続ける状態になる。最終段階では,「人や組織が最大限に能力を発揮している」状態となり,デジタル技術の利便性を享受するだけでなく,より高次のウェルビーイングまでもが実現されている。
図3|実現したい社会の一つの方向性人とデジタル技術の間のやり取りが増えることで,共に進化していく状況が想像される。このとき,人,あるいは,その人が所属する組織が,最大限に能力を発揮している社会を実現したいと考えた。
では,どうすれば「人や組織が最大限に能力を発揮している」状態を社会実装できるのか。東京大学FoundX※)ディレクターの馬田隆明氏は,著書『未来を実装する―テクノロジーで社会を変革する4つの原則』1)の中で,「日本の社会に足りなかったのは,テクノロジーのイノベーションではなく,社会の変え方のイノベーションだった」,「テクノロジーの社会実装を考えるとき,私たちはテクノロジーの「社会への実装」という観点から『社会との実装』という認識に変えなければならない節目にきています」と述べている(傍点は原文のまま)。
欧州の地域変革では,この「社会との実装」を実践した事例が見られる。例えば,Fab Lab Barcelona 2)の活動に端を発するSmart Citizenプロジェクト3)では,市民が自ら空気の質を計測するセンサーを設置し,さらにはセンサーの組み立て方をMaking Senseプロジェクト4)として公開している。また,VINNOVA(スウェーデン イノベーション庁)5)が主導するStreet Movesプロジェクト6)では,子どもを含む市民自らがストックホルム市内の道路のあり方をデザインしている。
こうした「社会との実装」を実現するためには,図3に示した第一段階から第二段階への移行において,特に社会やステークホルダーとのインタラクションにおいて注意すべき点や取るべきアクションを洗い出し,サイバーシステムを社会に根付かせる「仕掛け」として整備することが重要と考えた。この仕掛けの一つとして構築した「社会実装アクティビティパターン」について,次章で詳述する。
社会実装アクティビティパターンは,サイバーシステムの社会実装活動において,特に技術以外の側面での問題解決に向けたアクションを実例とともに集積したナレッジである。社会実装を進めるイノベーターが打ち手に迷いが生じた際の参考にするほか,実践を通じて獲得した知見を同じ形式で蓄積することにより,継続的なナレッジの蓄積にも寄与することをねらっている。本章では,パターンの構築において着目した四つの観点と,構築したパターンについて述べる。
社会実装アクティビティパターンの構築にあたり,過去に日立が実施したマルチステークホルダーでの協創案件15件の担当者へのヒアリング,および社外事例6件についてのデスクトップリサーチを実施した。その結果,社会実装を成功させるには,法的な側面や規制当局の方針だけでなく,受け取り手の受容性を含む社会規範へのアプローチも早い段階から重要であることが分かった。一方で,社会規範の変容には時間が掛かることに加え,個々の組織の意見よりも業界全体やコミュニティとしての意見が社会規範の変化に強く影響を及ぼすケースが多いことが観察された。
以上を踏まえ,社会実装には「法律・規制」や「文化・習慣・トレンド」といった社会規範に働きかける観点に加えて,コミュニティとの連携を強化する「ステークホルダーとの協調」と「ルール・ガバナンスの形成」の観点も必要と結論付けた。
過去事例における特徴的な活動を前述の四つの観点で整理し,社会実装アクティビティパターンとしてナレッジ化した。その一覧を図4に,パターンの例を図5に示す。
社会実装アクティビティパターンの記述形式はパターン・ランゲージに従っている。パターン・ランゲージは,建築家Christopher Alexander氏が住民参加のまちづくりのために提唱した知識記述方法である7)。本研究では,場の分類ではなく社会実装という人の活動に着目することから,慶應義塾大学 総合政策学部の井庭 崇教授がAlexander氏のパターン・ランゲージを応用し,人間行為のコツを示すために定めた記述方法に従った8)。具体的には,状況,問題,障壁,解決,解決のためのアクション,結果に分けて記述を行い,それらの特徴を象徴するタイトルを付けた。
各パターンは,一つ以上の過去事例における活動を基に,イノベーターが自分のプロジェクトに当てはめやすいよう一般化した表現で記載している。一方で,一般化した記述のみでは具体的なイメージが湧きにくいのも事実である。そこで,各パターンの基になった過去事例についても同様の形式で状況,問題,解決のためのアクションなどを記載し,各パターンにひも付けて参照できるようにしている。
本研究では,デジタル技術によって「人や組織が最大限に能力を発揮している」社会の実現に向けてはサイバーシステムを社会に根付かせる仕掛けが必要と考え,日立内外の事例を基に社会実装アクティビティパターンを構築した。
構築したパターンを社内のイノベーターに共有し,インタビューした結果,「むだなものはなく参考になる」といったポジティブな反応があった一方で,「自分が置かれる状況に近いパターンが欲しい」,「もっと深い情報が欲しい」といった声もあり,ナレッジの広さと深さの課題が見えてきた。今後は,より深いナレッジを継続的に蓄積できる方式を検討し,システム実装をめざす。