デジタル技術による電子線ホログラフィーの新展開
ハイライト
近年,プラネタリー・バウンダリーの安全域に地球環境を回復させるため,環境課題を解決する技術として,水素製造,CO2資源化,プラスチック分解などに役立つ触媒や超低消費電力のデバイスなどが期待を集めているが,高機能な物質やデバイスの設計には機能が発現する根幹となる電場や磁場の理解が不可欠である。
日立は,それらを原子レベルで観察できる,電子線ホログラフィーを主軸とした電子顕微鏡技術を開発している。近年,デジタル技術の活用によりハードウェアのみでは達成できなかった観察が実現できるようになった。
本稿では,代表的な事例として触媒ナノ粒子電荷量計測,ナノ粒子自動計測,格子面の磁場観察について述べる。
1. はじめに
環境中立社会を実現するため,グリーンエネルギー分野では脱炭素化技術,デジタルデバイス分野では低消費電力化・低発熱化技術が求められている。こうした技術の開発には基礎的な新物性の発見やそれらの最適な組み合わせと制御が必要となる。デバイス機能の根幹となるのは原子の配列であり,その情報に加えて機能と深く関係する電場や磁場の情報を高い分解能で得ることは,さまざまな技術開発におけるメカニズム解明や不良解析において非常に有用である。
電子線ホログラフィーは電子波の波面の変化(電子波位相)を計測することで,局所的な電磁場分布を高分解能観察できる有用な手法である。この電子線ホログラフィーにおいて究極的な分解能を実現するため,最先端研究開発支援プログラムの助成を受け,収差補正器を搭載した加速電圧1.2 MVの「原子分解能・ホログラフィー電子顕微鏡」が2014年に開発された1)。近年,「原子分解能・ホログラフィー電子顕微鏡」にデジタル技術を組み合わせることで,ハードウェアの先鋭化だけでは成し得ない極限計測をいくつか実現した。本稿では代表的な事例として,触媒ナノ粒子電荷量計測,ナノ粒子自動計測,格子面の磁場観察の新たな進展について述べる。
2. デジタル技術の融合による原子分解能・ホログラフィー電子顕微鏡技術の高度化と応用
2.1 情報科学を利用した触媒ナノ粒子の電荷量計
さまざまな化学反応を促す「触媒」は,環境浄化や食料増産など地球規模の問題解決に貢献する重要な材料である。この触媒の性質を明らかにする技術として,物質の電位分布を電子線の位相計測により観察できる「電子線ホログラフィー」が重要視されている。しかし,触媒ナノ粒子が示すごく微弱な電位分布や電荷量を計測するためには,その位相計測精度を従来よりも1桁高めるという技術上の大きな飛躍が必要であった。そこで日立と,九州大学,明石工業高等専門学校,および大阪大学の共同研究グループは,最先端の電子顕微鏡技術と情報科学的手法(微弱信号の抽出技術)を融合する独自の研究戦略により,電子線ホログラフィーの位相計測精度を1桁向上することに挑戦した。
本研究では,電子線ホログラフィーの位相計測精度が,画像データである「ホログラム」の像質に強く依存することに注目し,その像質改善と微弱情報の抽出を究めた。ホログラムの位相計測精度を1桁高めることは,長年にわたる挑戦的な課題であった。例えば測定時間(電子照射量)に注目した場合,位相計測精度を1桁高めるためには,測定時間を従来よりも100倍長くする必要がある。しかし長時間の電子照射は試料の変質・損傷を招くため,測定時間の延長には限度があり,目標とする精度の達成には至らなかった。そこで,ホログラムの像質に深く関係する「電子波の干渉性」について世界最高峰の性能を有する1.2 MV原子分解能・ホログラフィー電子顕微鏡を用いるとともに,ウェーブレット隠れマルコフモデル※1)によるノイズと微弱信号の分離など,新たな情報科学的手法を開発・活用した。このような計測と情報の先端技術を融合することで,従来のアプローチでは到達できなかった「電子線ホログラフィーの位相計測精度を1桁高める」という技術目標が達成された。この位相計測精度により,観察される一つひとつのナノ粒子に対してその電荷量を「電子1個の精度」で数えるという,他の計測手法でも実現できなかった触媒材料に対する新たな研究を進めることが可能となった。
図1|TiO2上のPtナノ粒子の帯電状態負に帯電したPtナノ粒子(図上部)と正に帯電したPtナノ粒子(図下部)を示す。触媒電位の空間分布から,Ptナノ粒子の電荷量と帯電の符号を高精度に計測することができる。
本手法を用いて,環境浄化などに広く利用される白金-酸化チタン(Pt/TiO2)系触媒の電位分布を精緻に解析した2)(図1参照)。Ptナノ粒子周辺の位相計測によって電位の空間分布を明らかにすることにより,TiO2に担持したPtナノ粒子の電荷量を,図1上段のナノ粒子では電子6個相当,下段のナノ粒子では2個相当など,「注目するナノ粒子一つひとつに対して」決めることができた。さらにこの解析を通じて,TiO2との接合界面の素性によって,Ptナノ粒子は正にも負にも帯電し得ること,また電荷量はPtナノ粒子の結晶の歪み具合にも影響を受けることなど,触媒の研究開発にとって非常に重要な知見を獲得することができた。超高感度の電子線ホログラフィーにより,地球環境問題の解決に役立つ触媒開発の加速が期待される。
- ※1)
- 画像データに対するノイズ除去技術の一つ。画像データのウェーブレット変換では,「信号としての特徴を持つ画素(ピクセル)は,変換後の相当画素にも,その特徴が受け継がれる」という傾向がある。この傾向を複数の確率変数(マルコフパラメータ)で表し,同パラメータの最適化を通して信号とノイズの的確な分離を行う。パラメータの記述にあたって「隠れ状態」という確率論・統計論的な概念を参照していることから,「ウェーブレット隠れマルコフモデル」と称する。
2.2 ナノ粒子の電子線ホログラフィー自動計測
近年,電子顕微鏡分野では,情報処理技術の発展とともにデータ駆動型研究が注目されている3)。大量のデータから共通する特徴を抽出することで,従来の顕微鏡観察では不明であったナノスケールの構造や電磁気的特性などを明らかにすることができる。しかし,そのような研究ではしばしばデータ収集がボトルネックになることがある。前章で述べたように,電子線ホログラフィー法を用いて触媒ナノ粒子の帯電量を定量的に評価する技術を開発し,ナノ粒子の帯電量はさまざまであることが分かってきた2)。その原因解明にはより多くのナノ粒子の観察が求められ,そのために原子分解能を有するホログラム像を大量に収集する技術が必要とされる。従来のホログラム像の大量取得技術としては視野を少しずつ走査する方式があったが,目的のナノ粒子がまばらに分散する試料においては粒子がホログラム像に含まれていない,あるいは像の中央に位置しないなど,解析に用いることができるデータの収集効率が低かった。そこで,パターンマッチングおよび機械学習手法の一つであるCNN(Convolutional Neural Network:畳み込みニューラルネットワーク)を用いた画像分類器を導入し,目的の粒子を探し出して高品質なホログラム像を効率的に取得する技術を開発した4),5)。
図2|ホログラム自動計測の粒子検出に用いたTEM像(a)と自動計測されたホログラム像から再生した位相像(b)TiO2基板の中央に穴を空け,薄く加工した穴の端部にPtナノ粒子を担持した試料を観察している。(a)の四角い点線枠はパターンマッチングで類似度が高いとされた領域,赤線枠は画像分類器で粒子があると判定された領域である。
本手法では,まず,低倍率で取得したTEM(Transmission Electron Microscope:透過電子顕微鏡)像において,パターンマッチングにより基準となる参照画像と類似度が高い位置を検出し,その周辺の画像を切り出し,位置とともに記録する。次に,切り出された画像中にナノ粒子が含まれるか否かを画像分類器で分類し,含まれる場合のみ該当する位置において高倍率のホログラム像を取得する。本研究の自動計測の例を図2に示す。(a)は粒子検出に用いたTEM像である。TiO2基板上に担持されたPtナノ粒子と電子線が干渉しているホログラム領域が写っている。Ptナノ粒子を目的の粒子として左下の四つの参照画像を用いてパターンマッチングを行った結果,Ptナノ粒子以外にもTiO2基板のエッジなど粒子が含まれない場所も多数検出された(点線枠)。次に,画像分類器でPtナノ粒子の有無を判定したところ80%以上の精度でPtナノ粒子を検出することに成功した(赤線枠)。図2(b)は取得されたホログラム像から再構成した位相像である。本研究で得られたデータはすべてのナノ粒子について電場解析に必要な空間分解能と観察位置精度を有しており,データの取得効率が従来の走査手法に比べて約100倍向上することが示された。本手法では,機械学習で行うタスクを,画像を二つのクラスに分類するというシンプルなタスクに絞り込んでいるため,CNNの学習に必要となるデータが200枚程度と少ない量でも高い分類精度を有する。すなわち,本手法は未知の試料においてデータの収集と学習を速いサイクルで実行でき,研究開発において要求される試料の形状変化などへの対応も素早く行うことができる。
2.3 デジタル収差補正による格子面磁場観察の実現
物質の磁気構造とそれに関連するスピン配置の解析は,固体物理学,無機化学,スピントロニクスの分野だけでなく,材料科学や工学などの他の分野においても重要である。しかし,磁場を担う元素が複数ある場合や厚さの分布があるような試料の磁場解析において,原子レベルの磁場を直接観察することはこれまでは困難であった。
日立,九州大学,国立研究開発法人理化学研究所,HREM Research Inc.,国立研究開発法人産業技術総合研究所,国立研究開発法人物質・材料研究機構の共同研究グループは,JST-CREST(JPMJCR1664)※2)の支援を受け,「原子分解能・ホログラフィー電子顕微鏡」を用いて,これまで観察が困難であった磁性多層膜などの構造や組成が不均一な試料の磁場観察を可能にする手法を開発し,世界で初めて格子面それぞれの磁場観察に成功6)した(図3参照)。
本技術は,原子分解能を維持した電子線ホログラフィーの自動計測技術と自動撮像後にピントを自動補正するデジタル収差補正技術から成る。自動撮影技術は多数のデータを積算平均化することで,原子レベルの微弱な磁場情報を高精度に計測することを可能とするものである。しかし,自動計測時に多数の計測データすべてについて最適なフォーカスで計測を行うことは困難である。そのため,実験後に計測データを解析し,ポストデジタル収差補正を行うデータ解析システムを開発した。電子線ホログラフィーによる計測後の収差補正はハンガリーの物理学者であるDénes Gáborがホログラフィーを開発した動機そのものであり,光学的な収差補正やデジタル処理による収差補正がなされてきた。一方,多量のデータを自動的にデジタル収差補正するためには,計測データの収差を自動解析する必要がある。本解析システムでは,アモルファスカーボンの領域で計測された物体波※3)を解析することで残留収差を計測し,収差補正する方法7)を電子線ホログラフィーに適用して自動化し,局所的な物質間の境界(界面)における原子層レベルでの磁場観察を実現した6)。
また,本技術は高分解能磁場観察への応用だけでなく,触媒電位の高分解能観察やデバイス中の原子ポテンシャル観察など,さまざまな計測対象に応用できる高分解能電磁場観察技術である。
- ※2)
- 新たな科学知識に基づく創造的で卓越した革新的技術のシーズ(新技術シーズ)を創出することを目的とした,国立研究開発法人科学技術振興機構による研究プログラム。
- ※3)
- 振幅と位相の情報を持つ試料を透過した電子波。
3. おわりに
「原子分解能・ホログラフィー電子顕微鏡」にデジタル技術を組み合わせることで,デジタル技術による電子線ホログラフィーの新展開が拓かれた。今後,本技術は原子レベルで起きている化学反応場や磁気現象の解明を通じて基礎科学の発展に寄与するとともに,カーボンニュートラル社会の実現に向けて,脱炭素化のための電動化向け高性能磁石や高機能触媒の開発,さらに日常生活で必要になる全体の消費エネルギーを減らすための省エネルギーデバイスの開発に貢献すると期待される。
謝辞
本研究は,内閣府の最先端研究開発支援プログラム(FIRST)により,独立行政法人日本学術振興会を通じた助成,およびJST CREST(JPMJCR 1664)の支援を受けたものである。本稿で述べた研究においては,九州大学の村上 恭和教授,麻生 亮太郎准教授,理化学研究所の十倉 好紀博士,進藤 大輔博士,于 秀珍博士,原田 研博士をはじめとする関係各位より多くのご支援をいただいた。深く感謝の意を表する次第である。
参考文献など
- 1)
- T. Akashi et al.: Aberration corrected 1.2-MV cold field-emission transmission electron microscope with a sub-50-pm resolution, Applied Physics Letters, 106, 074101(2015.2)
- 2)
- R. Aso et al.: Direct identification of the charge state in a single platinum nanoparticle on titanium oxide, Science, 378, 202-206(2022.10)
- 3)
- S. R. Spurgeon et al.: Towards data-driven next-generation transmission electron microscopy, Nature Materials, 20, 274-279(2021.10)
- 4)
- F. Ichihashi et al.: Improved efficiency in automated acquisition of ultra-high-resolution electron holograms using automated target detection, Microscopy 70, 510-518(2021.6)
- 5)
- F. Ichihashi et al.: “Automatic electron hologram acquisition of catalyst nanoparticles using particle detection with image processing and machine learning, Applied Physics Letters, 120, 064103(2022.2)
- 6)
- T. Tanigaki et al.: Electron Holography Observation of Individual Ferrimagnetic Lattice Planes, Nature 631, 521-525(2024.7)
- 7)
- Y. Taniguchi et al.: Correction of spherical aberration in HREM image using defocus-modulation image processing, Journal of Electron Microscopy. 41, 21-29(1992.2)