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GLOBAL INNOVATION REPORT

ダボス会議見聞録

ハイライト

ダボスに行くなら列車が良い。壮麗なネオ・ルネッサンス様式のスイス国鉄チューリッヒ中央駅を滑り出た列車は左に大きく弧を描きながら市街地を抜け,チューリッヒ湖畔をひた走る。清潔で広めの座席は快適で,揺れも少ない。雪煙をあげ疾走する列車の窓から今にも凍りつきそうな鈍色の湖面を眺めていると,つい仕事を忘れ旅情に浸る。湖畔を離れた列車は谷あいの田園地帯に入り,やがてラントクワルト駅に到着する。大勢のスキー客に交じり,ここでスイス国鉄からスイス最大の私鉄であるレーティッシュ鉄道に乗り換える。

目次

執筆者紹介

加藤 兼司

  • 日立製作所 営業統括本部 グローバル事業推進本部 主管
  • 企画部 所属
  • 現在,グローバル地域戦略策定に従事

ダボスへ

ダボス市街 (Copyright:World Economic Forum)

ダボスに行くなら列車が良い。壮麗なネオ・ルネッサンス様式のスイス国鉄チューリッヒ中央駅を滑り出た列車は左に大きく弧を描きながら市街地を抜け,チューリッヒ湖畔をひた走る。清潔で広めの座席は快適で,揺れも少ない。雪煙をあげ疾走する列車の窓から今にも凍りつきそうな鈍色の湖面を眺めていると,つい仕事を忘れ旅情に浸る。湖畔を離れた列車は谷あいの田園地帯に入り,やがてラントクワルト駅に到着する。大勢のスキー客に交じり,ここでスイス国鉄からスイス最大の私鉄であるレーティッシュ鉄道に乗り換える。

レーティッシュ鉄道は1889年ラントクワルト−ダボス鉄道として開業した。深い渓谷に架かるアーチ型のランドヴァッサー橋を特徴的な赤い車両が渡る路線は,世界遺産にも指定されておりメディアなどでも眼にする機会が多い。快速列車で標高約500 mのラントクワルトから約1,500 mのダボスまで駆け上がる,と言えば急峻な鉄路を思い浮かべるが,乗客の申し出によって山間部のちいさな駅にも停車するRequest Stopを繰り返しながらの,のんびりとした列車旅だ。雪に覆われた杉林の間をゆるゆると抜けると,いつの間にか左手遥か眼下に谷間の集落が望めるようになる。そのあたりになると,森林限界を越えたゴツゴツした岩肌のスイスアルプスらしい山々も見える。

1時間ほどでめざすダボス・ドルフ駅に辿り着く。ハンス・カストルプもこの駅に降り立った。ノーベル賞作家トーマス・マンの大著『魔の山』はダボスが舞台だ。主人公ハンス・カストルプが結核静養中のいとこを見舞うため,この駅に降り立つところから物語は始まる。

抗生物質の実用化以前,ダボスは国際的な結核療養地であった。19世紀半ばドイツ人の青年医師アレクサンダー・シュペングラーが,ダボスの高地特有の涼しく乾燥した空気や気圧等が結核療養に効果が高いと喧伝したのが,その始まりだ。レーティッシュ鉄道開通で,結核療養地ダボスに世界各地から患者や見舞い客が訪れるようになる。シャーロック・ホームズの生みの親コナン・ドイル,『宝島』の作者ロバート・ルイス・スティーヴンソンなどもダボスを訪れた一人であり,トーマス・マンは1912年妻カタリーナを見舞うためにここを訪れ,『魔の山』の構想を思い付いたと言われる。

若き経済学者の情熱

第二次大戦後,抗生物質が普及すると,療養地ダボスは衰退する。1971年ダボスの街おこしと,停滞の兆しを見せていたヨーロッパ経済の再活性化を睨んで,若きスイス人経済学者クラウス・シュワブ氏が立ち上げた「ヨーロッパ経営シンポジウム」が,現在ダボス会議の名で知られる「世界経済フォーラム(World Economic Forum:WEF)」の始まりである。

このシンポジウムにはヨーロッパの企業経営者を中心に約450人が顔をそろえた。会議後,シュワブ氏は会議運営のため非営利組織「ヨーロッパ経営者フォーラム」を設立する。以後,毎年1月ダボスで会議が開催されようになる。設立当初はヨーロッパ経済再生が目的だったが,この会議は次第にグローバルな課題に取り組み始める。

1971年7月のニクソン米国大統領電撃訪中表明,同年8月の米ドルの金兌換停止による,戦後の世界経済を支えたブレトン・ウッズ体制の終焉,そして1973年には第四次中東戦争を契機とした石油ショックが世界を襲うなど,世界は混乱の時期を迎えた。そうした中,1974年の会議からは政治指導者が参加するようになった。

1987年ヨーロッパ経営者フォーラムは,現在の世界経済フォーラムと名を改め(以後,会議体はダボス会議,運営母体をWEFと記す),ダボス会議は次第に世界の安定に重要な役割を果たすようになる。1988年の会議では緊張高まるギリシャ・トルコ両国がダボス宣言に調印して戦争を回避,続く1989年には東・西ドイツ首相がドイツ統一を話し合った。

このダボス会議の影響力を鑑みて,1999年の会議ではコフィー・アナン国連事務総長がグローバル化の負の課題解決に向けて,企業と国連の協調を呼びかけ,国連グローバル・コンパクト(UNGC)として結実する。

ダボス会議が世界の安定に影響力を持てた背景は,その中立性にある。国連やG7(先進国首脳会議)は参加各国の利益を負う宿命にあるが,ダボス会議は非営利組織であるため,特定の国・地域の利益に影響されない。

これはシュワブ氏の研究テーマ「マルチステークホルダー」にも関係がある。経営には株主・顧客に加え従業員や政府・地域社会などすべての関係者の利益を念頭におく必要があるとする考え方だ。だからなおのこと特定の団体・地域の利益にとらわれない。中立性が高いゆえにダボス会議には実に多様な人々が出席する。

たとえばWEFのガバナンスを担う評議員会の2017年3月現在のメンバーはシュワブ氏に加え,アル・ゴア元米国副大統領,クリスティーヌ・ラガルドIMF専務理事,チェロ演奏家のヨーヨー・マ氏,ヨルダン王国のラーニア王妃等々,まことに多彩である。

ダボス会議とはそもそも,WEFが毎年1月下旬の水曜日から土曜日に渡ってダボスで開催する年次総会のことである。今年は1月17日(火)から20日(金)にかけて開催されたが,これは今回初参加した中国の習近平国家主席を招聘するために,春節の前に開催する必要があったことや,20日にドナルド・トランプ米国大統領の就任式が予定されていたことなどが理由と噂されている。

年次総会の他,WEFは南米,アフリカ,ASEAN(東南アジア諸国連合),中東・北アフリカなどで地域会合を開催する。地域会合はダボス会議のテーマを敷衍しつつ,地域固有の課題にその地域の政府・企業・NGO関係者が取り組むこともあって,こちらを重要視する参加者も多い。また中国会合はサマーダボスと呼ばれ,毎年大連と天津で交互に開催され,特に技術やイノベーションに焦点を置いたアジェンダが設定されている。

450人ほどで始まったダボス会議に,2017年には約3,000人もの出席者が集った。この中には習近平中国国家主席,テリーザ・メイ英国首相などの各国首脳やアントニオ・グテーレス国連事務総長を含む国際機関幹部300名,1,000人を超す企業経営者などが含まれる。出席者は企業の場合,役員以上に制限され秘書などの随行は認められない。ただしWEFの会員(パートナー)の中でもストラテジック・パートナーは5人の参加者に加え,随行者1名,スタッフ2名などが認められる特典がある。

ダボス会議逍遥

メイン会場のコングレス・センター (Copyright:World Economic Forum)

ダボスの街は,周囲をアルプスの山々に囲まれた北東から南西に広がる小さな盆地にある。盆地のほぼ中央を小川が流れ,これに沿うようにレーティッシュ鉄道が通る。北東部,街の入り口にダボス・ドルフ駅があり,南西部に街の主要駅であるダボス・プラッツ駅がある。線路北側の平野部から山すそにかけて,両駅に挟まれた距離にして4 kmほどに広がる小さな街である。

メイン会場コングレス・センターはこの街のほぼ中心に在る。地上階から3階までと地下階の5層構造だが,山すその傾斜地を切り拓いて建てられているためVIP用車寄せのある地下階も一部は地表に面しており,地上階には切り崩した崖上の道路からも入場できる。

ただし,このコングレス・センターや超VIPが宿泊する一部のホテルには,何人たりともIDカードなしには入場が許されない。それゆえ参加者はダボスに到着したら,まず街の南東の外れの登録センターで,WEFが準備したIDカードを受け取らねばならない。

世界の超VIPが一時に集うだけに,街の要所にはマシンガンを携えたスイス軍兵士や警察官の姿もあり,会議開催中のダボスの街は,非常に緊迫した雰囲気が漂っているかのように思える。しかし実際には会議参加者に交じって,街にはスキーを楽しむ観光客の姿も目立つなど,存外のんびりした光景が見られる。

コングレス・センターに入場する際は,都度IDカードを専用端末にかざして認証を受け,人も手荷物も空港にあるような金属探知機を通過する。会議が拡大されるに従い増設を重ねたため,建物内部は迷宮のようだ。地階には国家元首クラスが講演する約1,500人収容のメインホール「コングレス・ホール」があり,この他100人規模から十数人規模まで大小様々の会議室,さらに5名〜10名の個別ミーティングを行える会議室など100以上の部屋がある。毎年少しずつレイアウトが変更されるため,常連参加者でも初日は戸惑うらしい。

コングレス・センターに加え,ダボスにある30以上のホテルでもバラエティに富んだセッションが開催される。そこで参加者はコングレス・センターをベースに,目当てのセッションに出席するため街中を動き回る。移動手段は参加者専用の乗り合いバンに加え,タクシーや「Uber※)」の契約車両もある。小さな街なので歩く参加者も多い。なお地元車両以外の自動車が会議期間中にダボスの街に入るには,参加者同様に事前に車番とドライバーを登録しておく必要がある。

世界のリーダーが集う会議の共通言語はもちろん英語だが,これはアメリカ語やイギリス語を意味しない。インド,アフリカ,ロシア,南米などの様々な英語が飛び交う。こうしたアクセントや発音が微妙に違う英語を聞き分けながら過ごす時間は,ネイティブスピーカーであるアメリカ人・イギリス人も相当に疲れるであろう。

聞き辛いのは言葉だけではない。多様性を求めるダボス会議では,見たくない現実や会いたくない相手に出くわすことがある。過去に何度も対立する国・地域の政府首脳が同時に出席した例がある。昨今世界で想定外の事態が起きていると言われるが,これは見たくない現実から顔を背けているがゆえだ。だから多彩な意見の飛び交うダボス会議は,時代がどこに向かおうとするのか見定めるのに都合が良い。

※)
Uberは,Uber Technologies, Inc.の商標である。

魔の山とダボス会議

『魔の山』は第一次大戦前夜に世界各地からダボスを訪れた人々の物語である。優秀なエンジニアだが不穏な世界情勢などには無関心なハンス・カストルプが,世界各地から集った人々と語らうことで,次第に自らの考えを確立していく。

彼に大きな影響を与えるのはセテムブリーニとナフタの二人。イタリア人のセテムブリーニは,自由貿易を信奉し,技術革新がより良い社会を作ると信じて進歩を重んずるフリーメイソン。一方のナフタはガリツィア地方出身のユダヤ人だが故郷を出て,やがてイエズス会士となる。神の摂理を重んじ,神の国の創造をめざす。この二人が主人公を交え,資本主義や共産主義,民族国家の興隆と宗教的権威の衰退,当時最先端技術であった鉄道や電信その他の技術革新から哲学や芸術に至るまで,あらゆることで論争する。

もちろん『魔の山』は100年前にトーマス・マンが上梓した小説だから登場人物の性格や主張には,現在の基準では不適切な表現・考えもあり,誇張や想像があるので実在する団体などとは切り離して考えるべきである。しかし,不穏な世情を背景に,主人公を挟んで二人のプラットフォーマーが,あらゆる社会課題に対して議論しあう様は,現在のダボス会議を見ているようで非常に興味深い。『魔の山』では療養所を中心に,患者同士で議論を重ねたり,主人公がナフタなどの家を訪ねて個別に対話したりする。主人公は,それぞれの主張を全面肯定も否定もせず,ある時は共感し,ある時は疑念を持ち,ある時は議論の参加者を観察しながら,次第に自分の意見をまとめていく。

ダボス会議の多くの参加者も,性急に誰かの意見を否定・肯定するのではなく,ハンス・カストルプと同様に,討論内容を吟味し,また周囲の参加者の反応を注意深く観察しているようだ。ダボス会議のパネルディスカッションなどでは聴衆もインタラクティブに発言できる機会も多いし,隣り合った者同士で意見を述べ合うこともできる。たまたま隣に座った人物がグローバル企業のCEOや,ある国の閣僚であるということが当たり前に起こる。こうした偶然の出会いから世論の方向性を検討したり,新事業に結びつく気づきを得たりできるのが,ダボス会議の醍醐味の一つである。

ハンス・カストルプが個別にナフタたちを訪ねたように,ダボス会議にもバイラテラル・ミーティングと呼ぶ企業や団体同士の個別ミーティングの場がある。会議専用SNS“Toplink”で参加者を検索し,面談を申し込む。会議直前まで膨大な数の申込みが舞い込むので,依頼文を読むだけでも一苦労だ。しかし,世界各地のリーダーたちと一か所で一時に面談できるのはダボス会議ならではの大きな魅力である。こうした個別ミーティングは,コングレス・センター内のバイラテラル・ミーティングルームや,ラウンジ,街のホテルなど至る所で行われる。

ダボス会議では毎年の社会情勢に鑑みたテーマが設定される。2015年の“The New Global Context”,2016年の“Mastering the 4th Industrial Revolution”などは技術進化(Digitization, Robotization)が産業・社会・人類に与える影響,未来の課題解決について多面的な考察を行うことを目的とした。

2017年は,過去2年間がIoTやAIなどの技術革新が社会に与える影響を模索するものであったのに対し,“Responsive and Responsible Leadership”をテーマに掲げ,保護主義やポピュリズムが浮上し始めた世界の中で,グローバルリーダーたちがいかに世論の動きを敏感に察知し,かつ責任あるリーダーシップをとるべきかを追究した。サブテーマとして次の5つが掲げられた。“Preparing for the Fourth Industrial Revolution”,“Strengthening Systems for Global Collaboration”,“Revitalizing the Global Economy”,“Reforming Market Capitalism”,“Addressing Identity through Positive Narratives”。

『魔の山』で主人公たちが議論した内容と似て,なかなかに面白い。『魔の山』が描かれた約110年前は,第一次産業革命から生じた新しい社会規範・生活様式が,鉄道や電信などの当時の最新技術によって世界に伝播し,各地域固有の習慣との軋轢・摩擦を起こした時代であった。翻って現代も,第四次産業革命に象徴されるIoTやAI,ロボティクスなどが社会変容を創出し,それがSNSなどを通じて瞬時に世界に伝播することで新たな摩擦が起きている。

こうした不確実性の高い時代にあっては,他者の意見を傾聴するだけでなく,時代の趨勢を見極めつつ自らの意見を開陳することも有用であろう。

メインホール「コングレス・ホール」

中規模会場のパネルディスカッション

小規模会場のセッション

セミナー風景

(Copyright:World Economic Forum)

パネルディスカッションに出席する日立製作所会長の中西宏明 (Copyright:World Economic Forum)

日立製作所会長の中西宏明は,ダボス会議共同議長を務めた2016年,“Mastering the 4th Industrial Revolution”というテーマの下,色々なプラットフォーマーがそれぞれのIoTプラットフォームの利点を述べる中で,日本政府が唱導する新しい社会に向けたプラットフォーム“Society 5.0”のコンセプトを共同議長ブリーフィングで紹介した。

2017年もコングレス・ホールで“The Compact for Responsive and Responsible Leadership”と題した,会議の根幹をなすパネルディスカッションに登壇し,IoTなどの技術革新を活用し社会に貢献することが,今後世界に求められるリーダー像であることを示した。

今回のダボス会議は開会の基調講演を担った習近平国家主席が幕を開け,閉会セレモニーを行っているまさにその時間に約6,700 km離れたワシントンDCで就任演説を行ったドナルド・トランプ大統領が幕を閉じたと言えるかもしれない。

ますます不確実性を高める世界にあって,ダボス会議はうまく活用すべきであろう。その効用はおおよそ三つにまとめられる。一つ目は世界の趨勢・動向を把握できること,次に世界に向かって自ら情報発信できること,最後にあらゆる地域のリーダーとのネットワークができることである。

魔の山を照らす

今年のダボスはことのほか寒かった。マイナス20℃近い冷気漂う街を歩いた折,ふとハンス・カストルプが雪山で彷徨するシーンを思い出した。吹雪に見舞われた山で,彼はぐるぐると同じ場所をさまよう。リングワンデルング(輪形彷徨)現象である。見通しの効かない場所では,本人は直進しているつもりでも,利き足などの歩き方の癖により一定方向に歩みが偏るために起きる。

膨大な量のデータが吹雪のように飛び交うIoTの世紀では,人々はまっすぐ未来に向かっているつもりでも,個人の思考の癖などの認知バイアスにより道に迷ってしまうかもしれない。日立のIoTプラットフォームLumadaは「照らす・輝かせる」という意味の”illuminate”とデータ(data)をあわせた造語だ。Lumadaは見通しの効かない未来に向けて,大量のデータに光を当て,人々が進むべき道を照らし出す。

辛くも遭難をまぬがれたハンス・カストルプだが,大戦前夜の激動に翻弄された彼は悲劇的な選択をする。

日立は人々を消せない不安から守るために技術を駆使する。日立は技術を通じて社会に貢献していく。トーマス・マンがダボスを訪れた100年余り前から,日立はずっとそうしてきた。

参考文献など

1)
トーマス・マン(高橋義孝訳):魔の山(上,下),新潮文庫(1969)
2)
田村和彦:魔法の山に登る トーマス・マンと身体,関西学院大学出版会(2002)
3)
齋藤ウイリアム浩幸:世界一の会議 ダボス会議の秘密,講談社+α文庫(2017)
4)
竹中平蔵:竹中平蔵のポリシースクール,日本経済研究センター
5)
World Economic Forum公式サイト
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