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ハイライト

連載シリーズ第1回の冒頭を書いてから約1年が経過しました。この間,パンデミックにも大きな変化があり,さらに国際情勢では,ユーラシア大陸から中東にも大きな変化が起こりました。一方,人間が引き起こした可能性の高い気象の激甚化は地球全体に広がっています。また,生成AIの拡散速度にも驚くものがあります。このような歴史的な転換点にあって,できる限り先を読みながら筆を進めています。こうした状況で,ますます大切になるのが,「第一次情報」です。現生人類(Homo sapiens)は言葉を持ったことから未来の一部を予測することができるようになりました。そのためにより良き未来を創れる可能性をもった唯一の種となったのです。この進化における「未来の獲得」という視座から,さらにその先を考えていきたいと思います。前回までに述べた予測の結果と誤差については,文末の付録で顧みていきたいと思います。

目次

執筆者紹介

小泉 英明

小泉 英明

  • 日立製作所名誉フェロー,日本工学アカデミー顧問(前上級副会長)。
  • 1971年東京大学教養学部基礎科学科卒業,同年日立製作所計測器事業部入社。1976年理学部に論文を提出し,東京大学理学博士。環境・医療などの分野で多くの新原理を創出し,社会実装した。2000年基礎研究所所長,2003年技師長,2004年 フェローを経て,2017年より現職。東京大学先端科学技術研究センター フェロー・ボードメンバー,中国工程院外国籍院士・東南大学栄誉教授。国際工学アカデミー連合(CAETS)理事,米国・欧州・豪州などの各種研究機関や財団のボードを歴任。近著に『アインシュタインの逆オメガ:脳の進化から教育を考える(Evolutionary Pedagogy)』(パピルス賞受賞作品,文藝春秋社刊)。

社会を問い直す「倫理」の潮流

哲学書では異例のベストセラーとなった『なぜ世界は存在しないのか』の著者で,「世界で最も注目を浴びる天才哲学者」と評されるマルクス・ガブリエル教授(Markus Gabriel:University of Bonn)と対話する機会を得ました。自然科学から人文・社会科学まで「総合知」と呼べる知見に裏打ちされた氏の語りは非常に興味深く,私たちはすぐに意気投合しました※コラム1)

コラム1
マルクス・ガブリエル教授との出会い

この経緯について附記します。2022年の秋にパリ近郊のヴェルサイユにて,国際工学アカデミー連合(CAETS)の年次総会が開催されました。倫理の重要性に鑑み,ボン大学からクリスチャン・ウーペン教授(哲学研究所所長)が倫理の講演に招聘されて,一つのセッションが開催されました(図1参照)。その背景には,CAETS2019 年次総会がストックホルムで開催されたときの理事会があります。「工学倫理(Engineering Ethics)」をCAETS定款附則(Bylaws)冒頭の目標項目の一つに加える件(日本からの提案)は,その後の種々の討議を経て,CAETS2021年次総会(ホスト国アルゼンチン:コロナにてリモート形式)にて,理事会・評議会を通過。Bylaws(定款附則)の冒頭部分(Objectives)に,Article 1の第f項目に「Promote ethics in engineering education, research and practice(倫理を教育・研究・実践において推進する)」と明記されました。2011年の東日本大震災の直後に,CAETS2011(ホスト国メキシコ)の年次総会開会式冒頭で,震災の現況と原子力発電所事故を報告し,今,「科学技術における倫理を根本的に見直す時代に直面」していると,CAETS総裁の前日の要請に応えて,急遽,述べさせていただいてからちょうど10年が経過していました。CAETSの目的の一つとしてEthics(倫理)の促進が明瞭に記されたのです。

本シリーズ第1回前編にて,スウェーデン王立工学アカデミー(IVA)創立100周年について述べたように,CAETS2019後の秋に開催された記念式典では,「工学」と「倫理」それぞれの専門家による対話が組まれました。そして,最後に発言させていただき,日本に生まれたロボット「鉄腕アトム」を紹介しました。手塚治虫先生が求めていた「温かい心を持った涙を流すようなロボットが理想」(手塚先生の奥様から直接伺ったお話)を述べて,それは東洋のAIの理想でもあると加えさせていただきました。

来賓のスウェーデン次期女王の夫君であるダニエル王子殿下が興味を持たれて,シンポジウムの後にお声を掛けてくださり,国王・王妃両陛下にもご紹介いただきました。

その後,2023年になって東京大学東洋文化研究所所長に就任された中島隆博先生が,ボン大学の両先生を招いて東京でシンポジウムを開催されました。その際にウーペン所長と再会を互いに喜び,また,彼女の同僚のマルクス教授と議論を深める機会をいただきました。特にマルクス教授の講演と討議の最後に,Trans-disciplinarityの概念についての議論をさせていただきました。その後,昼食会に入りましたが,先生のご厚意でマルクス教授とウーペン教授の間に席が用意されて,興味深い議論をさらに続けることができました。

図1 「工学倫理」もテーマに含まれたCAETS2022年次総会とボン大学の関係 図1 「工学倫理」もテーマに含まれたCAETS2022年次総会とボン大学の関係 CAETS2022年次総会(ヴェルサイユ)では,倫理についてウーペン所長(The Center for Life Ethics,University of Bonn)が講演した。2023年5月に東京大学東洋文化研究所(中島隆博教授が同4月に新所長として就任)がウーペン教授とガブリエル教授をボン大学から招いてシンポジウムを開催した。これを契機に,人文科学と自然科学の新たな連携として,東京大学先端科学技術研究センター(杉山正和所長)とも正式な連携が開始された。

昨今,氏が提唱する「倫理資本主義」が世界の注目を集めています。第1回後編にも述べた通り,アダム・スミス(Adam Smith,1723-1790)はもともと倫理学者であり,『国富論』で唱えた資本主義の本質も,前著の『道徳感情論』で述べた「倫理」を前提にしたものでした。すなわち,社会の調和のためには自己利益の追求に加えて「共感(Sympathy)」が必要だと説いていたのです。

それにもかかわらず,「見えざる手(Invisible Hand)」という概念に代表されるように「各個人が自己の利益を追求すれば,社会全体で適切な資源配分が達成される」という市場原理や自由経済の側面ばかりが独り歩きし,拝金主義につながるような米国流の経済学が蔓延してしまったと感じています。

産業革命と蒸気機関の相互作用

産業革命は,1733-1840年頃までの100年以上の長い期間にわたって漸進的に進みました。日本の徳川時代が1603-1868年の265年間ですから,その後半の時代に重なります。「産業革命」は技術変化が広く産業や経済の変化をもたらした現象を指しています[初出はブランキ(Jérôme-Adolphe Blanqui, 1798-1854)の『欧州経済思想史』(1837)とされます]。その原動力には蒸気機関があって,ワット(James Watt, 1736-1819)の存在も大きかったと思われます。ワットは従来の蒸気機関の効率を一気に引き上げて(1776年),さらに遊星歯車機構で回転力も得られるようにしました(1781年)。当時,経済思想も,その新たな蒸気機関の迫力と威容のもとに牽引されたと感じるのです。現在,スペインのマドリッド工科大学に当時のワットの蒸気機関の実物が保存されていますが,大きな空間を占有して鎮座するその迫力と威容には,人間の力が遥かに及ばない機械だということを実感させられます。ワットの蒸気機関は産業分野だけでなく,やがて海上交通の外輪船を誕生させたり,陸上交通の蒸気機関車を誕生させたりしました。現在でも,蒸気を吐きながら力走するSL(Steam Locomotive)のマニアが多いのは,蒸気機関が人間の感性に強く訴えるからでしょう。実は,最近の出版物で,このワットにはアダム・スミスが会っていたことを知りました(Robert L. Heilbroner, Encyclopaedia Britannica, 2023)。倫理学者・哲学者であったスミスは,経済や社会の実態を知ることを心掛けていたのではないかと推察されます。

蒸気を駆動力とする原理は古代ギリシャからあって,さらにワットに近い最初の蒸気機関にはニューコメン (Thomas Newcomen,1664-1729) の発明があります(1712年)。産業革命に寄与したワットの蒸気機関の特長は,エネルギー効率を飛躍的に向上させたことと回転出力を得られるようにしたことです。その燃料となる石炭は世界の炭鉱から掘り出されて大量に燃やされました。熱力学的には蒸気機関は燃焼部がエンジン外にある外燃機関ですが,さらにエンジン内で石油を燃やす効率の高い内燃機関が開発され,自動車が走りまわり,飛行機が空を飛ぶようになったのです。石炭・石油などの化石燃料が際限なく消費され,そこから生じた人工物(人間社会が排出した温室効果ガス)は地球生命圏の気温を上昇させて,人類は経験のない気象激甚化に悩まされ始めています。

図3に,蒸気機関のような外燃機関とガソリン・エンジンのような内燃機関の例を示します。理論的には最も熱効率が良いスターリング・エンジンと,小型軽量で大出力が出しやすい2サイクル・エンジンの実物の写真です。


図2 ワットの蒸気機関の実物 図2 ワットの蒸気機関の実物 1832年に製造されたワット型蒸気機関[A beam engine of the Watt type, built by D. Napier & Son (London)]。1861年から1891年までスペイン王立造幣局の硬貨鋳造機を駆動。現在,マドリッド高等工業技術学校(The Higher Technical School of Industrial Engineering of Madrid:マドリッド工科大学の一部)のロビーに設置[国際工学アカデミー連合の年次総会(CAETS 2017)の会場となったホールの入り口に位置していて,筆者はかつて毎日横を通っていたが,あまりの巨大さに最初は実物と気づかなかった。]。

図3 蒸気機関のような外燃機関とガソリン・エンジンのような内燃機関の例 図3 蒸気機関のような外燃機関とガソリン・エンジンのような内燃機関の例 理論的には最も熱効率が良いスターリング・エンジンと,小型軽量で大出力が出しやすい2サイクル・エンジンの実物の写真。このスターリング・エンジンは掌の上に載せると,室温と体温の温度差で,ローターが十分回転するほど高性能である。2サイクル・エンジンの方は,アルコールとグリセリン(潤滑油)で,回転軸を高速回転させることができる。小型軽量ながら出力は1.7馬力という高性能なエンジンである(両者ともに筆者の手の上に置いて撮影した)。

コラム2
アダム・スミスとMacaulay Institute for Soil Research

アダム・スミスはワットと同じ英国北部のスコットランド出身です。スコットランドは,分野を越えて実世界を見ていた碩学を多く輩出しています。 MRI(磁気共鳴描画装置)の試験管の世界からの基本原理は米国・英国で生まれましたが,生きた大人の人間に適用させたのは,英国の中でもやはりスコットランドのアバディーン大学でした。その昔,アバディーンの土壌の研究所(Macaulay Institute for Soil Research,1930年創立)では,肥沃ではなかった土の中の栄養元素を研究するうちに,分光学の分野でも世界の中心となりました。前回述べたようにスミスもそのような人だったと筆者は感じています。目的がはっきりとあって,そこから別の新たな分野が創成された例です。

スミスは,元は倫理学・哲学の分野の人で,自然法思想の流れを汲み,啓蒙の時代にあって実際の経済・社会そして技術にも深い関心を示しました。

前回に強調したように,今も経済学者も記述することがある「神の見えざる手」というのは,スミスは一度も言ってはいません。「見えざる手」(Invisible Hand)というのも,最初の『道徳情操論』に一度,後の『国富論』にも,ただ一度ずつ現れるのみです。ここでも「第一次情報」の意義が問われてきます。専門家であっても原典を確認していないケースがあることの証左になってしまいました。

Macaulay Institute for Soil Researchについて一言加えますと,筆者自身は1970年代にこの研究所に招聘されたことが,Analytical Science(分析科学),そしてTrans-disciplinary(環学性)という概念の端緒となりました。

京都の学会で少しお話ししただけだったのに,トーマス・ウエスト所長 (Thomas S. West, 1927-2010) が,まだ学生に毛が生えたような時分の筆者を招聘くださり,多忙な所長職から半日間抜け出してご自分の車を運転し,スコットランドのなだらかな丘や小川,そして英王室の別邸などに連れていってくださいました。その時,スコットランドと人々の気質を肌で感じました。これはまさにスコットランドの第一次情報でした。さらに専門分野に固執すべきでないことをご教示くださいました。スコットランドは,アダム・スミスやジェームズ・ワットを輩出しただけでなく,さらには最初期(1980年)の医療用MRI装置もアバディーン大学で開発されました。

(https://www.jsac.or.jp/bunseki/pdf/bunseki2006/200604konohito.pdf)

倫理資本主義へと回帰する世界

リーマン・ショック以降,経済格差は広がるばかりです。何かがおかしいと多くの人が気づき始め,その揺り戻しが起きているのが今日的潮流だと言えるでしょう。

そうした現象の一つが,マルクス・ガブリエル氏が提唱する倫理資本主義への注目や,齊藤幸平氏のベストセラー『人新世の資本論』に代表されるカール・マルクスの思想の再評価であり,これらは資本主義の修正ないしその代替案を模索する同じ源流から生じた動きです。

他方,従来は哲学の領域だった「倫理」を,経済学だけではなく科学などの他分野が積極的に取り入れる動きは新しい現象だと言えます。総合科学学術雑誌『Nature』の前編集長フィリップ・キャンベル(Sir Philip Campbel)氏と議論したとき,氏は「これからの科学にとって最も重要な原点は倫理になる」と明言していました。また,先に挙げた齊藤幸平氏をはじめ,時代を先取りする言論人の方々も,倫理について尋ねると「これから倫理の問題は極めて重要だ」と口をそろえて仰っています。こうした流れは,行き過ぎた市場原理主義はもちろんですが,急速な科学技術の進展など,人間の幸福を置き去りにした社会の営みやあり方を問い直す,より大きな意味での揺り戻しの現象ではないでしょうか。

ただ,繰り返しになりますが,近年の倫理資本主義において注目されている点は,アダム・スミスが唱えた本来の資本主義を正しく再評価する原点回帰の流れです。しかしながら倫理に基づく資本主義は歴史的に見ても完全に実現したことがないため,世間の目には新しい考え方のように映るのでしょう。

コラム3
Nature誌の変貌

よく知られているNature誌は,英国のNPG(Nature Publishing Group)から出版されている自然科学分野の論文誌です。近年この雑誌にも,人文学・社会科学の視座が大切になってきました。本シリーズの第1回後編で「経済格差」について述べました。「世界の経済格差の現実」の現況が一目瞭然となることを願ったのです(第1回後編図1参照)。このような認識は自然科学の世界にも顕在化してきました。2023年のNature誌の論説「Reducing inequality benefits everyone ― so why isn’t it happening?”」(不平等の是正は皆に有益。なのに何も起こらない?,Nature, 16 Aug. 2023)が,その一つの例だと思います。

NPGが自然科学の分野から一歩を踏み出して,最初に人文科学分野の学術誌「学習の科学」(Science of Learning,2015年創刊)を出版した際には少しお手伝いしました。豪州で同名の国家プログラムとクイーンズランド大学(QU)の国際諮問委員を務めていたことが契機でした。当時編集長だったキャンベル氏も入って,その出版のキックオフ・シンポジウムがブリスベンで開催されました。パネルに対してのコメントが求められ,「無意識(意識下)に対しての学習・教育について,どのようにお考えか?」と聞いてみました。すると,どのパネリストからも「言われてみれば重要だが,考えてみたことはなかった」とのお答えでした。知育は主に言葉を使用した意識上での学習・教育ですが,学習の多くの部分は意識下の神経回路が形成されることによるからです。ですから学習・教育も自然科学の視座が重要となると考えています。

その晩,キャンベル氏と直接,かなり議論しました。そして同じようなことを考えていると分かったのが「倫理の重要性」でした。最近になって,自然科学のNature誌にも「倫理」の論文が現れました。さらに,2023年には経済格差の是正に関する社説に近い記事も掲載されました。

図4 Science of Learning誌のキックオフ・シンポジウム 図4 Science of Learning誌のキックオフ・シンポジウム Nature誌でよく知られる自然科学系の出版社であるNature Publishing Groupは,初めての人文学や社会科学にも関係する新たな教育分野でScience of Learning誌を出版するにあたり,出版記念シンポジウムをクイーンズランド大学所有の歴史的な施設で行った。Nature誌前編集長のキャンベル博士も自然科学との境界を越えた新たな学術誌の誕生の意義を強調した。

図5 信濃木崎夏期大学 図5 信濃木崎夏期大学 今から100年以上前の1916(大正5)年に,農民の方々を中心とした信濃教育界の熱意に,後藤新平らが賛同し,「財団法人信濃通俗大学会」が東京に設立された。翌年の8月1日に長野県大町市の木崎湖畔に「信濃木崎夏期大学」が開校。夏の間の一定期間だけ開校される所謂夏季大学である。長野県北安曇郡の大糸線沿線の小中学校の校長・副校長の先生方の尽力によって,現在に至るまで開校され続けてきた(筆者は当初講義の一部を担当し,後に理事として今も支援している)。

『会社はこれからどうなるのか』ほか多くの名著で知られる経済学者の岩井克人先生は,20年以上前から倫理資本主義につながる考えを述べられていました(岩井克人,平凡社,2003年)。その文庫本の出版にあたり,先生は次のように書いておられます。

「…アメリカ型の株主主権論は,これからの会社のあり方のグローバル標準にはかならずしもなりえないということを,理論と歴史の両面から論証してみたのです。そもそも会社は株主のモノでしかないという株主主権論,会社と企業とを混同した,法理論上の誤りなのです。(中略)…2009年8月12日,この『文庫本のためのまえがき』を書いている今,世界は『100年に一度』のグローバル経済危機のただ中にあります。」

この前書きの背景には,先生が経済学者として哲学者イマヌエル・カント(1724-1804),特に『人倫の形而上学』を研究してきたことがあると思います。偶然,東京でお目にかかった後,この前書きを書かれたちょうど10年後の2019年,木崎夏期大学で,夕方から翌日の夕方までの丸一日ご一緒して,講義を拝聴し,その後にも多くの質問をさせていただく機会がありました。

先生の講演で印象に残っているのは,世界の経営者に対して行われた1991年の調査結果です。「会社は株主のためにある」と答えた経営者が米国では75.6%だったのに対し,日本ではわずか2.9%でした。また「不況時に配当より雇用を優先する」と答えた経営者が米国では10.8%だったのに対し,日本では97.1%に上りました。今では多くの日本企業が米国流の経営を取り入れていますが,かつての日本型経営はむしろ倫理資本主義に重なる姿をしていたのであり,その日本で倫理資本主義が脚光を浴びるのは二重の意味での原点回帰だと言えるのです(信濃木崎夏期大学講義,2019年8月8日,小泉記録)。

人間の慣習・習俗から自然に立脚した倫理へ

岩井先生とマルクス・ガブリエル氏が共に倫理に基づく資本主義を発想しているのは偶然ではありません。二人とも哲学者イマヌエル・カントを敬愛し,その影響を強く受けているのです。カントは「人間の意志が自ら自分自身に道徳的義務を課す」と述べており,私たちが行動するとき,自分のためではなく「道徳的に正しいから」行うことが大事だと訴えています。これはまさに倫理資本主義につながる考え方ではないでしょうか。

このようにカントは「道徳」をより普遍的な善なる意思と捉え,個人の意思に基づく「倫理」と,理性から無条件に命じられる人間としてあるべき「法」を照らし合わせて実践することを求めました。一方で,少し後の世代の哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)は「倫理」を,正しさを現実化するための制度として捉え,個人の内面的な「道徳」に加え,客観的な報復体系としての「法」が必要だと考えました。カントとヘーゲルは「道徳」と「倫理」をそれぞれ反対の意味で解釈したため,両者は異なるものという認識が広く定着してしまいましたが,もともと道徳(Morals)はMoresというラテン系の語源,倫理(Ethics)はEthosというギリシャ系の語源を持ち,どちらも「慣習・習俗」を意味する同根の言葉なのです。

コラム4
カントにおける哲学と自然科学の接点

哲学者カントによる鳴禽類の里子実験は,偶然,カントの遺稿集を読んでいて気づきました。当時の哲学教授は教育学も教える務めがあったようで,カントも講義用のノートを遺していました。それをカントの死後に弟子が遺稿として出版したのが『教育学』遺稿です。その中で,人間と鳴禽類以外に,教育の概念は存在しないと明確に述べています。これに気づいたのは「脳科学と教育」という新分野を創ろうとしていた2000年代の初頭でしたので,大変に驚きました。

カントはカナリアを飼っていたのですが,その卵の中に雀の卵を意図的に紛れこませたのです。孵化した雀はカナリアに育てられ,カナリアほどはうまくはないが,少し囀ることのできる雀が育ったとカントは述べています。しかも,庭の雀の鳴き声が聴こえない奥まった部屋でこの実験をしています。教育を考える際に,このような統制も考慮した里子実験を行ったのは,カントが本質的に科学者でもあったからだと思います。里子実験というのは,鳥類学者の間では1980年代に考え出された学習環境を変える新たな手法とされていたのです。このカントの実験は自然科学分野で見たことがなかったので,言語学や行動科学の学会で試しに報告してみました。人間とそれ以外の動物の言語を研究していた岡ノ谷一夫教授(現在は東京大学名誉教授)は,「里子実験の創始者をカントにしなければ…」と言われました。会場に笑いが漏れたのを記憶しています。

筆者はカントの著作とその項目を年代順に並べてみたのですが,神経系の入力から出力の順におよそ沿っているように感じています。(小泉英明:日本言語学会131大会招待講演,広島大学サタケメモリアルホール(2005),その他)

最近は小鳥の歌とその学習過程の研究も盛んです。しかし,2024年に生誕300周年を迎えるカントは,哲学者でありながらかなり厳密な小鳥の里子実験を自宅で行っていました。カナリアが産んだ卵に潜ませた雀の卵もカナリアに孵化させたのです。そして,十分ではないが囀る雀が育ったことを確認したのでした。遺伝か環境かという基本的な問題を教育学の視座から行って,およそ教育は人間と鳴禽類にしか見られないと結論づけたのです。現在も,多くの動物行動学者が,人間を除く霊長類の中にもわずかに教育行動が見られることを報告していますが,教育は人間の最大の発明とも言われています。小鳥の歌学習の研究はかなり複雑で,幼鳥期に父親の歌を聴いて育つと,思春期に父親から歌を学習できるというケースもあることが明らかにされています。

アカデミーの思想から倫理・道徳を考える

図6 紀元前6世紀頃の古代地中海地図とプラトンの国際性 図6 紀元前6世紀頃の古代地中海地図とプラトンの国際性プラトンが生きた時代は紀元前427年-紀元前347年であったが,紀元前600年頃には,ギリシャ人が地中海沿岸に多くの植民都市を作っていた。当時の木造船舶は大型から小型まで高い技術で製造されており,速度も軍事的目的の大型船(三段橈船)は10ノット近い速度が出たとされる。民間も比較的安価で舟旅をすることが可能であったようだ。プラトンは当時のシチリアには少なくとも2度訪れている。現在,シチリアの西海岸までギリシャのアテネの植民都市の遺跡が残っているが,図中の左側にその一例を示す。

さらに遡ると,このような思想は古代ギリシャの時代に至ります。ソクラテスの死後,プラトンは当時のアテネを離れて,海外を訪れます。今でいう国際的な視座をすでに持っていたと考えられるのではないかと私は考えます。完全な記録が残っているわけではありませんが,シチリアとイタリア・エジプト・リビアは実際に旅したと考えられています。当時,ギリシャは地中海に多くの植民市を持っていて,それは現在のイタリア(シチリアを含む)・フランス・トルコ・エジプト・リビアなどの地中海沿岸部に多数点在していました。当時の造船技術の水準は極めて高く,海上交通も盛んであったと言われています。プラトンは国際的な感覚を基に,アテネ近郊のアカデメイアに学堂を作りました。これがアカデミーの起源とされます。プラトン40歳の時でした(図6参照)。

紀元前7世紀頃から多くのギリシャの植民市が地中海に広く分布しています。海上交通も盛んで国際活動が行われていました。プラトンは40歳でアカデミーを創立するまでに,ギリシャ国内だけでなく多くの国々(シチリアを含むイタリア各地,リビア,エジプトなど)の植民市を訪れた記録があり(正式な論文ではないのですが),海外の実態を知っていたと考えられます。プラトンの国際性も大切で,そこから生まれたのがアカデミーの思想だと思います。

ラファエロの名画「アテネの学堂」(ヴァチカン所蔵のフレスコ画)を見ると,アカデミーの概念が明瞭に示されています。中央にアカデミーの中心人物であるプラトンとアリストテレスが立っています。プラトンが携えている書物の背表紙には「ティマイオス」(後期対話篇:自然哲学の書)と描かれており,アリストテレスが携えている書物の背表紙には「ニコマコス倫理学」(倫理学の体系的な書)と描かれています。正確な本人の記録はないのですが,登場人物に関しては多くの検討がされています。ソクラテスやヒュパテア[エジプトのアレクサンドリアで紀元後に活躍した女性数学者・科学者(新プロトン主義者)]も描かれているという説もあります。この巨大なフレスコ画には,女性や子どもたちも一緒に学んでいて,フロネシス(Phronesis:賢慮・賢人の思想)の流れが絵画によって生き生きと示されています。現代に至るまでの哲学の歴史は,このような思想を説明してきたという解釈すらあるようです。

図7 アテナイの学堂(ラファエロによるフレスコ画)と現代の歴史的アカデミー

左の写真にある大きなフレスコ画は現在もヴァチカンに遺されている。ルネサンスを代表する画家の一人であるラファエロが描いた「アテナイの学堂」(アカデメイア)である。中央にプラトンとその弟子であるアリストテレスが描かれており,それぞれが携えている本の背表紙に書いてあるのは,後期対話篇(自然哲学)とニコマコス倫理学である。女性や子どもも一緒に描かれていて,アカデミーの中立性そして学びが公平である思想を現すものと考えられる。
右の写真は,現代の最も歴史的な科学アカデミーの最近の姿である。400年前の時代に欧州で近代的な科学アカデミーの基本が成立した。現在も活発に活動し,世界に発信を続けている。


ここから推察できるのは,過去の倫理や道徳の概念は「人間の慣習・習俗」から発生してきたもので,小さな社会から大きな社会が形成されていく歴史的過程の中で,倫理や道徳が慣習・習俗よりも大きな概念として発展的に捉えられていったということでしょう。

そして現在,「人新世」の時代と呼ばれ,人間の行動が地質や生態系に変化をもたらすほど,自然に大きな影響を及ぼすようになりました。第1回中編でも触れたように,私たち人類が他の生命と生きる地球生命圏はシャボン玉のように薄い薄膜上にあります。新型コロナウイルスの流行やロシア政府によるウクライナ侵攻を通じて多くの人々がその脅威を実感しているように,核戦争や気候危機,パンデミックなどによって人類は滅亡してしまう可能性さえ議論されるようになりました。

このようにプラネタリーバウンダリー,人間が地球で生きていくことの限界が露呈している今,倫理・道徳の概念においてもコペルニクス的転回が必要です。すなわち,「人に迷惑をかけない」という「人類社会の集合の中での倫理・道徳」から,その集合を包摂する「自然※)全体に立脚する倫理・道徳」が新たに求められるのです。そして当然ながら,限られた資源や多くの制約の中で私たちが共存して生き延びるためには人間同士の協力が不可欠であり,したがって,自然に立脚する,これからの新しい倫理とは「温かい心」が原点となるのです。

※)
仏教用語では「じねん」[自から然り(おのずからしかり)]と呼びます。

今回は,気鋭の哲学者マルクス・ガブリエル教授の来日から始まって,哲学と広範な倫理の分野との関係に重点を置いて述べてきました。

哲学の分野から物理や生物学との関係を積極的に持とうと努力してきたのが,ポーランドのコペルニクス大学の哲学研究所です。脳の神経科学的研究を哲学の分野でも始めたいというご相談を受けたのです。具体的に機能的磁気共鳴描画の装置も設置したいという要望がありました。

図8は,コペルニクス大学哲学研究所で開催された哲学者,神経科学者,物理学者との対話のシンポジウムです。当時の哲学界としては世界でも進んだ試みであったと感じます。

同図のシンポジウムでは,神経科学の分野でも新たな話題であったミラーニューロンの発見者であるジャコモ・リゾラッティ教授もイタリアから招聘されました。ミラーニューロン系と共感との関係を慎重に議論しました。このような先鋭的かつ学術的に地に足が着いた共同研究が,新たな分野を創り出すのだと思います。


図8 コペルニクス大学で開催された先鋭的な異分野架橋型のシンポジウム 図8 コペルニクス大学で開催された先鋭的な異分野架橋型のシンポジウム生きている人間の脳機能を機能的MRI(fMRI)や光トポグラフィなどの方法論を使って観察できるようになると,自然科学とは対極の人文学,特に哲学の分野でもドイツを中心として関心が生じたのは1990年代後半である。さらに具体的な国際シンポジウムとしては,ポーランドのコペルニクス大学哲学研究所が,2000年代後半に,哲学分野に脳機能計測装置を設置する事前準備として先鋭的な会議を始めたのである。これは,ミラーニューロンを発見したリゾラッティ教授を招いて,哲学・認知科学・神経科学・物理学の分野から代表者がポーランドのトルンに集まり,深い議論を試みたときの記録である。

図9 普遍的倫理学の構想 図9 普遍的倫理学の構想今,倫理学が人間の生存にかかわる学問領域として認識が高まると同時に,現実的な社会問題の根源を改革するために,なくてはならない基本的アプローチとして注目されつつある。本シリーズでは,その点に重心を置いているが,基本構想を示す。コペルニクス大学の哲学研究所,ボン大学の哲学研究所,東京大学の東洋文化研究所などによる純粋に人文学系の研究に,多くの自然科学分野が連携して新たな倫理学を構築するアプローチが必要になっている。人文学系で始まった倫理学・哲学から,自然の中に生かされる人間という視座から,自然科学分野における倫理学を明確に位置付ける視座が必要になっている。

付録1
COVID-19 Pandemicの現況

図10 下水サーベイランスの一例(札幌市の公表データ) 図10 下水サーベイランスの一例(札幌市の公表データ)最近の下水に含まれる新型コロナウイルスの存在を示している。
2023年5月8日から第5類に分類されて以降,政府方針により新たな患者数は正確には調べられていない。一方,下水サーベイランスによると,新型コロナは未だ収束してはいないが,今のところは新型コロナウイルス変異種にも,さらに強毒性のものは現れてはいない。少しずつ医療体制も整備されてきたので,重篤な患者による病床のひっ迫は治まってきている。しかし,下水データの患者数の推定からすると,新型コロナが第10波を迎えたことはほぼ明らかである。全国の定点観測もその傾向を示している。

前回(2022年10月31日公開)では,第1回前編冒頭の「新興感染症の背景にある構造的問題」から始めて,進行中の新型コロナ(COVID-19)のパンデミックについて,将来展開を含めて記述しました。データは2022年8月までの当時としては最新のものを使用して議論しました。

ほぼ1年が経過して,現在,このパンデミックは新しい局面に入っています。オミクロン株は感染力が強い反面,毒性は少し緩和されたと見られています。しかし,新型コロナの後遺症の問題が新たにクローズアップされ,後遺症の根拠となる新たな知見が信頼できる論文誌に発表される状況に至っています。

2023年4月27日の厚生労働省の発表は次の通りです。「新型コロナウイルス感染症の位置づけは,これまで,『新型インフルエンザ等感染症(いわゆる2類相当)』としていましたが,令和5年5月8日から『5類感染症』になります。」そのために,感染状況の把握はインフルエンザのような限定的な医療機関による定点観測へと移り,正確な感染者数は確認されていませんが,本シリーズ第1回前編の図4に提示した下水サーベイランスは厚労省の発表資料にも加えられました。また,経済復興の視座が強調され,感染に関する政府の発表も報道もかなり少なくなりました。経済とのバランスは大変重要ですが,正しい政策が行われたかの公正な評価は,今後のパンデミックの制御のために必須です。

中国でも,新型コロナの弱毒化と経済の諸課題によって,「ゼロコロナ政策」(PCR検査を徹底して感染者・感染地域を特定し,厳しい隔離処置をとる)は,2022年12月上旬で突然終了し,新しい方向へと変化しました。米国が不幸であったのは,新型コロナへの初期対策が遅延したために,世界の最先端国でありながら,結果的には百万人以上の大変な数の命が失われたことでした。英国も同じような道を辿り,現在は政策の評価・検証作業が進められています。新型コロナウイルスの初期には,重篤な肺炎を併発することが多く危険でした。後期にオミクロン株にウイルスが変異し,重篤な肺炎の併発はかなり少なくなりました。感染症制御としては,初期対策を徹底して弱毒化と経済損失へのバランスを熟慮しながら,経済優先への移行時期を決めることが重要です。ただし,まだパンデミックは完全に終わったわけではありません。強毒化したウイルスの出現の確率こそ低くなりますが,未知の後遺症を含めて慎重な対応が必要です。

北海道大学・札幌市をはじめとする関係者のご尽力で,下水疫学は有力な感染把握と予測の手法として「全国下水サーベイランス推進協議会」が2023年8月25 日に発足するなど,少しずつ現場に定着しつつあります。一例として札幌市が公表している下水サーベイランスによるウイルス値は,2023年の年末の時点でも新型コロナが依然猛威を奮っていることを示しています。この事実は,実際に周囲の新型コロナ患者の多発を見ても,あるいは定点観測の限られた情報を見ても明らかです。確かにワクチンの成果や変異種の弱毒化傾向は見られますが,入院する高齢者や慢性病を抱える患者の方々の数値からは,さらなる対応が必要になっています。感染者の症状が軽くても重度の後遺症がみられるケースがあって,慎重な対応を迫られています※)。経済効果に鑑みて5類とした可能性もあり,これも「倫理」の一つの課題であって数年後までには公正な評価が必須となります。

※)
ごく最近出版されたエール大学岩崎明子教授グループの下記の論文が注目されています。J. Klein, et al.: “Distinguishing features of long COVID identified through immune profiling”, Nature 2023 Nov;623(7985):139-148. (Epub 2023 Sep 25).

新型コロナ(COVID-19)の後遺症には深刻なものがあって,コルチゾールが半減するなど顕著な症状が確認されました。

札幌市は比較的早くから新型コロナウイルスとインフルエンザウイルスの下水サーベイランスの結果を,北海道大学の協力のもとに札幌市のホームページ上に公表しています。2023年5月から新型コロナの扱いが2類から5類(インフルエンザと同等)へと移行して,感染状態の把握は定点観測のみとなりました。したがって図10に見られるように新規陽性者数は5月以降は把握できていません。しかし,下水サーベイランスによって新型コロナによる第9波が生じ,最新の時点(2024年1月末)では第10波のピークに近いところにあります。「JN・1」と呼ばれるオミクロン株の一種に置き換わっていますが,重篤化率が少し低いのでぎりぎりの線で経済を優先している状況かと考えます。さらに,2023年に大流行の兆しを見せたインフルエンザも,その兆候が下水サーベイランスで見えています。本シリーズ第1回を記した時点では,まだ実験段階でありましたが,下水サーベイランスは将来のパンデミックに備える有力な手法であることが判明しつつあります。ちょうど2年前に,第1回での主張にAMED(日本医療研究推進機構)からJST(日本科学技術振興機構)に移ってこられた若い担当官がご尽力くださり,ささやかながら新規の研究費を準備くださったことに深く感謝したいと思います。一方,COVID-19に対峙するために多くのICT研究に巨額の予算が投下されましたが,実用になったものは残念ながらわずかであったことは,今後のパンデミックに備えるために,しっかりと検証して反省すべき内容だと考えます。

付録2
国際紛争が起きる本質―現生人類の野性と理性の相克―

図11 現生人類(ホモ・サピエンス)の脳のサジタル断面図 図11 現生人類(ホモ・サピエンス)の脳のサジタル断面図現生人類の脳は,中心から外へと層状に進化してきた。ヒトにもっとも近い生物種のチンパンジーに対して,両者の遺伝子の相違は1〜3%であるとされる(諸説あり)。両者の脳を実際に比較すると,前頭極と言われる額の裏側の領域がヒトは2倍領域が増えている(両者の脳の全重量に対する前頭極の比を比較している)。この領野についての機能はまだ十分に分かってはいない。

ロシアのウクライナ侵攻は長期的なものとなり,当初はロシアのアカデミーも即刻声明を発出しましたが,その後は統制が強化され,ロシア内部の正確な情報は外部からは得られなくなりました。したがって,科学技術の専門分野から見ても論評は困難である状況です。本シリーズ第1回前編で述べた長い歴史をもつ東西の対立の中で,一度始まった戦争を止めることは極めて困難となります。

さらにシリーズ第1回中編で述べた中東のオスロ合意も,一度,不幸にして大きな武力衝突が生じて双方に死者が出てしまうと,理性や倫理は置き去りとされてしまいます。強い憎しみの連鎖が始まってしまいます。したがって,武力衝突を起こさないための基本的な枠組みを,倫理と国際法の視座から僅かずつでも作り上げることしか選択肢はないと思われます。2023年10月7日には,イスラエルとパレスチナの争いが再燃する契機となるような理性を超えた事件が起こってしまいました。

アインシュタイン(Albert Einstein, 1879-1955)とフロイト(Sigmund Freud,1856-1939)の往復書簡で,『ひとは,なぜ戦争をするのか』(1932年)というものがあります※コラム5)。大変に真剣な議論に思えますが,戦争で顕著になるのは現生人類としての理性と野性の相克です。私たち,現生人類が野性を根底に宿している現実は,進化の歴史から認めざるを得ないと筆者は考えています。

生命の痕跡は38億年前の緑藻類(細菌)の化石として現在も残っており,そこから多細胞生物が進化してきました。葉緑体を取り込んだ海藻がやがて陸に上がり多くの植物として進化し,一方で動物が私たち現生人類を含む霊長類まで進化してきました。動物は,太陽からの光子のエネルギーを直接取り込むことができないので,植物を通してさらに弱肉強食の食物連鎖として効率良くエネルギーを取り込むようになりました。生き残るための本能(野性)が,現生人類の脳にも一つの大切な機能として組み込まれています。

しかし,人間以外の動物と同じように野性の中で生きるのではなく,言語を獲得したことによって未来をも思考し,自分たちの未来の一部を制御できるようになったのは,現生人類が深い理性を獲得したからです。多くの現生人類が地球上で生存が可能になったのは,野性のみから脱却して,共存するために共感性あるいはより具体的には「温かい心」を持てるようになったからだと思います。自己中心の野性ではなく,他者を慮るという心を宿したが故に,地球上でたった一つの種であるホモ・サピエンス(現生人類:20万年前にアフリカで出現)に辿り着いたのです。人間が生かされている自然(じねん)の中で,自己と他者の共生(ともいき)こそ現生人類の尊厳であると同時に生きる原点でもあるのです。

一方で,野性は脳の中に厳然として残っています。それは意識下にあって,時に情熱や意欲のような良い側面を生む反面,人間の尊厳を貶める行動を止められないこともあるのです。戦争とは,そこに始まると捉えるべきでしょう。一旦始まると野性が理性を駆逐し始めます。戦争の中では,生物学的に現生人類の尊厳を脱ぎ捨てることが多々生じてくるのは,戦争の歴史の中で明瞭に見えていることです。生命進化や脳神経科学から見えてくることは,温かい心と理性を最大限大切にして戦争を開始しないことが最重要となると考えられます。戦争を引き起こした張本人が,どんどんと野性化していく過程は,誰の目にも明らかです。

コラム5

図12 『人はなぜ戦争をするのか?』 図12 『人はなぜ戦争をするのか?』アインシュタインは芸術を深く愛した※)。フロイトは若いときには神経科学と進化に関する研究をしていたが,当時,ユダヤ人は教授になれないと言われて,臨床を中心とした研究と実践に転向した。ウイーンを追われてロンドンに住んだフロイトの部屋を観察すると,フロイトの考え方が彷彿とされる。

アインシュタインがフロイトに宛てた手紙とその返事をまとめて1932年に出版されたものが,『Why war? A letter from Albert Einstein to Sigmund Freud』という往復書簡です。イスラエルのヘブライ大学から出版され,邦訳『ひとは,なぜ戦争をするのか』は講談社から出版されています。これは,当時の国際連盟からアインシュタインが要請を受けて,「今,世界で最も大切と思われるテーマを最も適切だと思う人と議論をしてほしい」という内容に応えたものです。アインシュタインは芸術,特にヴァイオリンを心から愛して,多くの斬新な発想も音楽から生まれたと述懐していますが,その通りではないかと拝察しています。その結果,アインシュタインは,「戦争の原因」を人類の最大の課題と捉えて,新たな物理学を生み出すように,この課題に真摯に取り組んだと思います。熟考の末,フロイトを選んで書簡を送りました。自分の分野から遠い専門家に,生物としての人間の本質をそこに指摘してもらいたかったのでしょう。フロイトは当時分かっていた人間に関する知識を最大限使って,アインシュタインに真摯に応えています。

先に述べたように,現生人類(ホモサピエンス・サピエンス:亜種)の進化における歴史は,38億年の生命の進化史からすると,小さな点にすぎないのです。現代の神経科学からは,理性・感性についてもかなり詳しい知見が得られ始めています。しかし,新たに言語を獲得したという不連続点を除いては,人間以外の動物と同様に,脳には野性がそのまま残っていると考えられます。

※)

アインシュタインの現在残っている唯一の演奏と言われている,短い演奏を載せた多くのサイトがウェブ上に存在していました。筆者も強い興味を持っていたので,その演奏を動画サイト上で繰り返し聴きました。なぜなら演奏にはその演奏者の発想や人柄,姿勢が現われることが多いからです。短くとても穏やかな曲で,一見容易に見えるし,リズムも少し揺れるので,アインシュタインの趣味の演奏と多くの人々は信じたのでしょう。しかし,あまりに芸術性に溢れる演奏だったので[モーツアルトのヴァイオリンソナタ第26版(K-378)の第ニ楽章],少し疑いを抱き,古いSP盤の録音がどこかに残っていないかを調べていました。すると同一の演奏が残っていたのです。往年の名ヴァイオリニストであるカール・フレッシュ(Carl Flesch,1873-1944)により1936年に録音された素晴らしいSPレコードでした。その部分を,アインシュタインの演奏と言われるものとフレッシュの録音盤を同時にスタートさせて,両者を同時に聞き比べたところ,完全にぴったりと重なったのです。この事実を拙著『アインシュタインの逆オメガ:進化からみた教育』(文藝春秋社,2014年出版)に書きました。すると出版の後,少しずつウェブからアインシュタインの演奏を載せたサイトが減り始め,今ではほとんど残っていません。この話を名ヴァイオリニストである澤和樹東京藝術大学前学長に話しましたら,先生はこのSP盤の演奏がとても素晴らしいので,大学の講義で紹介したことがあると言っていました。
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