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COVER STORY:ACTIVITIES2

先進のデータ分析技術による鉄道インフラ保全の高度化

オープンイノベーションでモビリティの未来を拓く

ハイライト

鉄道をはじめとするモビリティの進化が加速する中で,それらを支えるインフラ施設では,老朽化の進行や労働人口の減少などの課題を前に,いかに安全性を保ちながら効率的なメンテナンスを行うかが課題となっている。この課題にいち早く取り組んできたのが,東京大学大学院の社会連携講座「情報技術によるインフラ高度化」だ。産学のオープンイノベーションにより,データを活用したインフラメンテナンスの高度化をめざしている。

他方,モビリティ全体の未来を見据えた活動も活発化している。JR東日本を中心とした「モビリティ変革コンソーシアム」では,交通事業者をはじめとする企業や大学などが参画し,モビリティのあるべき姿を実現するための調査・検討,提言などを行っている。

これら産学連携活動の関係者に,データによるメンテナンスの革新について,そして,進化を続けるモビリティの未来像について聞いた。

目次

異分野の知の交流で社会課題の解決をめざす

石川 雄章 氏石川 雄章 氏
東京大学大学院 情報学環 特任教授

モビリティの進化が新たなステージへと入っている。自動車では,コネクテッドカーや自動運転バスが登場し,鉄道では,高速化とともに乗客の乗り心地や使い勝手,省エネルギー性能を向上させた新型鉄道車両が相次いで投入されるなど,より高い安全性や快適性をめざした次世代技術の開発が盛んだ。

一方で,それらモビリティの足元を支える道路や線路などのインフラは,国内では多くが高度経済成長期に整備され,50年近くが経過した今,一斉に老朽化が進行するという課題に直面している。さらに今後は労働人口も減少していくため,今あるインフラを社会資本として生かしつつ,安全性や経済性などの要素について検討しながら戦略的にメンテナンスを行っていくことは,モビリティの進化を後押しし,その価値を高めていくうえでも欠かせない。

こうした問題意識を背景に,デジタル技術をインフラ施設の点検やメンテナンスに活用する試みが始まっている。中でも注目されている活動の一つが,東京大学大学院情報学環の社会連携講座「情報技術によるインフラ高度化」である。

社会連携講座では,社会課題の解決に直結するさまざまなテーマについて,民間企業などとの共同研究が行われている。この講座では,ITの活用によるマネジメントの高度化によって社会インフラ施設のメンテナンスに関する課題を克服するとともに,インフラに関する技術支援・技術伝承の仕組みの確立により,インフライノベーションの実現をめざしている。首都圏のインフラ企業各社と日立製作所が構成機関として名を連ねるほか,研究協力機関として関係省庁や東京都なども参加している(表1参照)。2009年からの第1期,2014年からの第2期と,それぞれ5年間の研究活動を行っている。

指導教員の石川雄章氏(東京大学大学院 情報学環 特任教授)は,講座設置のねらいをこう振り返る。

「10年前は,まだITとインフラを結びつけようという動きは少なかったのですが,将来に備え,大学として長期的な視点で解決策を探っておくべきだと考えたのです。また,インフラ各社さんは,分野は違っても似たような施設を保有されていますから,それぞれが独自に蓄積してきたメンテナンスに関する知見を交換し合うことが,新たな気づきやレベルアップにつながる可能性があります。そのような知の交流を深め,オープンイノベーションの場にしたいという思いもありました。」

表1|東京大学大学院情報学環の社会連携講座「情報技術によるインフラ高度化」の概要

メンテナンス最適化へ,期待されるデータ利活用

浦壁 俊光 氏浦壁 俊光 氏
東日本旅客鉄道株式会社 技術イノベーション推進本部 部長

取り組んでいるのは,インフラ施設に関連するさまざまなデータを集めてリスク予測を行い,予測結果を実際の点検や補修の現場作業で活用することだ。

「かけられる人手とコストに限りがある中で,効率化と安全性・信頼性を両立させながらインフラを持続していくために,重要な要素がリスクなどのマネジメントです。データを活用して従来よりも精緻なマネジメントを行う手法を今のうちに確立しておけば,今後ますます深刻化するであろうインフラメンテナンスの課題克服に役立つはずです。」(石川氏)

研究対象とするインフラ施設は,参加企業それぞれが保有する洞道(通信ケーブルや送電線などの専用管路),トンネル,マンホール,橋梁(りょう),道床と多様だが,ここでは東日本旅客鉄道株式会社(以下,「JR東日本」と記す。)の道床についてクローズアップする(図1参照)。

線路や橋梁,信号・送電設備などから成る鉄道のインフラの中でも,乗り心地や安全性に深く関わるのがレールと枕木の下にある道床だ。その多くは,枕木を均等に保持して列車の荷重を分散させるためにバラスト(砕石)を用いている。バラスト道床には,使用しているうちに列車の重みで石のかみ合いが崩れて沈下し,レールの変形とそれによる乗り心地低下などを招くという課題がある。そのため,適切な時期につき固めや交換を行う必要があるが,そうした保線作業は,列車運行の合間をぬった限られた時間でしか行えない。JR東日本の営業キロは約7,500 kmに及び,いかに効率的・効果的なメンテナンスを行うかが大きな課題となっている(図2参照)。

「鉄道も他のインフラ同様,施設の老朽化が進んでいることに加え,メンテナンスに従事する人の数自体も減少するという二重苦に直面しています」と話すのは,浦壁俊光氏(東日本旅客鉄道株式会社 技術イノベーション推進本部 部長)だ。電気関係などの設備では,稼働データによる自己診断機能を備えているものもあるが,それ以外は定期的に現場に出向いて目視点検を行うことが必要となる。また,補修については所定の供用時間に達すると不具合がなくても交換するという方法が主流で,それらがメンテナンスに人手とコストがかかる要因となっている。

そのような中,車両にカメラを搭載して走行中の画像による点検を可能にすることや,時間ではなく設備の健全度で交換時期を判断するといった取り組みが少しずつ始まっている。こうしたメンテナンス現場の実情からも,今後はデータ利活用が必須になると考えられる。

「鉄道では,信号設備の電圧・電流,車両の走行によって生じる圧力,軌道の変位,振動など,さまざまなデータをきめ細かく取っているのですが,現在はそれらを十分活用しきれていないと感じています。うまく分析に使えば,より高い精度で健全度を予測でき,安全性とコストの最適化が図れるはずです。多種・多量のデータをどう分析して生かすかが,メンテナンスをはじめとするさまざまな技術を革新するうえで,重要な切り口になるのは間違いありません。」(浦壁氏)

図1|レールと枕木を支える道床道床はレールと枕木の下にあり,車両の乗り心地や安全性を支える多くの役割を持つため,適切な時期につき固めや交換を行う必要がある。

図2|JR東日本の事業エリアJR東日本は,関東,甲信越から東北まで1都16県にわたる広大な事業エリアを有し,営業キロは約7,500 kmに及ぶ。人手と予算が限られる中で,効率的なメンテナンスの実現に取り組んでいる。

「スモールデータ」からリスクを読み解く

図3|設備損傷予測の例(予測結果曲線)トレードオフの関係がある損傷発見率と損傷がない設備の点検回避率のトレードオフの関係を表すグラフである。グラフの左上から右下への直線(対角線)と曲線で囲まれる面積が大きいほど予測性能が高いことを示す。右図では20%の設備点検(回避率80%)で60%の損傷が発見できる(黄色い線)ことを表す。

インフラ高度化をめざす社会連携講座の技術的な核心部は,日立が開発したデータ分析技術である。インフラ設備に関連するデータから,機械学習の手法を用いて設備の損傷に関わる要因を分析し,損傷の可能性や健全度を予測するという技術だ(図3参照)。道床の場合,使用するデータは線路の曲率半径,軌道の変位,動揺加速度などの数値データに加え,レールの溶接方法といった数値以外のデータも含む。それらの分析結果から,線路を1 mごとに区切った各区間の道床が損傷している可能性を予測する。

開発において中心的役割を果たしてきた長谷川隆(日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ カスタマーフロントプロジェクト 主任研究員)は,技術的な特徴を次のように説明する。

「インフラ企業様から評価されているポイントは,数値化できる量的データに加え,溶接の種類や対象物の材質,マンホールであれば形や道路上の位置といった質的データも加えて分析できることです。また,この技術の最大の特徴は,インフラ保全業務を効率化するための損傷・健全度予測という目的に合わせて分析手法を選び,特有の事情に合わせて磨いてきた点にあります。」

インフラ施設の損傷・健全度予測に特有の事情とは何か。石川氏はこう指摘する。

「データ分析と言うとビッグデータを扱っているように思われるかもしれませんが,インフラに関しては,そもそも異常があってはいけないので,異常状態を示すデータが実は少ない『スモールデータ』なのです。一見たくさんあるようで,分類してみると各データ数は多くないため,データを大量に集めて機械学習させれば済むわけではないのが難しい点です。異常発生の可能性を見つけ出すためには,少ないデータを掘り下げ,数学で言う『補助線を引く』ような感覚で,データ同士の相関性などを見いだすことがポイントでした。」

機械学習では大量の学習データを必要とするが,施設の損傷に限らず,人間の疾患を判別する場合など正解データが少ないケースはよくある。ビッグデータだけでなくスモールデータをうまく扱うための技術や知見は,これからのデータ社会の発展に欠かせないものとなるだろう。

精度向上に欠かせない現場の経験知

長谷川 隆長谷川 隆
日立製作所 研究開発グループ 東京社会イノベーション協創センタ カスタマーフロントプロジェクト 主任研究員

この分析技術のもう1つの特徴は,分析結果として,損傷の有無ではなく損傷の確からしさ(補修優先度)の数値を示すという点だ。

「これは実際の業務への適用を考慮した機能です。インフラ施設の補修は,決められた年間予算の中で行われますから,優先度の高い順に並べておいて,今年は上から100か所まで,来年は80か所までといったように,予算に応じて柔軟に対応できるようにしました。」(長谷川)

また,分析に使用した複数のデータが,それぞれ結果に対してどれぐらい影響しているかを数値として示すようにした。これにより,現場の作業員がみずからの知識から「このデータをもっと重視すべき」といった意見を出し,それに従って計算方法を見直すことができる。「ブラックボックスにせず,培った経験知を予測に生かせるようにすることは,予測精度向上だけでなく現場の納得感にもつながります」と長谷川が言うように,人の知をデータ分析やAI(Artificial Intelligence:人工知能)に取り入れていくことも,これからのデータ社会では重要だろう。

社会連携講座の第2期は2018年度が最終年度となるが,各社が予測結果を実際の業務に適用して有用性を検証し始めているほか,その結果を受けて社内のマニュアルを改善した企業もあるなど,目標とした成果は得られると見込んでいる石川氏はこう語る。

「参加企業さんからは,社会連携講座は情報交換の場としても有意義であると評価されており,今後も何らかの形でつながりは持ち続けたいと考えています。また,リスク判断に関し,インフラ横断的に共通化できる要素を見いだしてフレームワークを整備することや,技術の進展に合わせてメンテナンスに関するルールを変えていくための提言活動などにも取り組みたいです。」

開発したデータ分析技術も,株式会社日立システムズの社会インフラ維持管理システム「CYDEEN」(図4参照)に搭載されるなど,今後広く社会に役立っていくことが期待される。

図4|社会インフラ維持管理システム「CYDEEN」の概要さまざまな社会インフラの維持管理に対応しており,最適な補修計画の策定を支援する。オープンデータプラットフォームとのデータ連携も可能である。

人間中心の視点で考える,これからのモビリティ

データ活用によってインフラメンテナンスも次のステージへと向かう中で,モビリティのこれからはどうなるのだろうか。

「鉄道も未来へ向けて,メンテナンス分野はもとより,安全・安心やサービスの向上などの分野においてもデータの活用をさらに進め,モビリティ革命の実現をめざしています。」(浦壁氏)

JR東日本を中心に,メーカー,大学,研究機関などが連携して社会課題の解決をめざす「モビリティ変革コンソーシアム」のステアリングコミッティ委員長を務める浦壁氏は,モビリティの未来を次のように展望する。

「JR東日本では,将来,鉄道と他の交通機関や気象などのさまざまなデータの連携が進んでいく中で,お客様へ“Now,Here,Me”(今だけ,ここだけ,私だけ)の価値を提供することをめざしています。つまり,お客様一人ひとりに対応したサポートの充実です。コンソーシアムではそうしたビジョンを踏まえつつ,出発地から到着地までDoor to Doorのシームレスな移動の実現や,公共交通機関におけるロボット活用などのテーマに関する活動を深めています。今は人が交通機関に合わせて移動していますが,人の目的に合わせて各種のモビリティが連携し,移動を最適化するというのが,あるべき未来の姿ではないかと考えています。」

人間中心の視点でモビリティを見つめ直すことは,政府が推進するSociety 5.0のビジョンとも重なり合う。

モビリティの変革をめざす活動には,石川氏も期待を寄せてこう話す。

「超少子高齢化という大きな社会課題を日本がどう克服していくか,今後同じ課題に直面する世界の国々から注目されていると思います。社会活動に不可欠なモビリティでも,今の状況をポジティブに捉えた変革が求められています。モビリティ変革コンソーシアムには,そのためのビジョンを示すことを期待していますし,私たちも企業の皆さんと連携しながら課題克服に貢献することをめざします。」

先進のデータ利活用技術とオープンイノベーションが,モビリティの未来を拓いていく。

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