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ハイライト

IoT技術の発展で産業機器などの遠隔監視システムが進化している。遠隔監視システムが「現在の状態を確認・通報する」ものから,「今後の状態を予測し故障時の解決手段を提示する」ものに進化するためには,AI技術の活用によってヒトとIoTが連携したスマート保全システムを構築することが必須である。日立では,エレベーターの遠隔監視システム「ヘリオス」を1994年に保全作業に導入して以来,AIを活用した故障復旧支援,ウエアラブル端末の活用による保全作業の高品質化・デジタル化,設備の保全情報をビルオーナーに提供するダッシュボードなどの技術開発に取り組んできた。

本稿では,昇降機保全におけるスマート保全システムの構築状況と今後の展望について報告する。

目次

執筆者紹介

小平 法美Kodaira Norimi

小平 法美(Kodaira Norimi)

  • 株式会社日立ビルシステム フィールドサービス事業部 保全技術開発本部 保全技術開発部 所属
  • 現在,保全診断装置の開発に従事

三好 雅則Miyoshi Masanori

三好 雅則(Miyoshi Masanori)

  • 株式会社日立ビルシステム フィールドサービス事業部 保全技術開発本部 デジタルエンジニアリング部 所属
  • 現在,保全データなどの分析,ダッシュボードの開発に従事
  • 情報処理学会会員

熊倉 洋一Kumakura Youichi

熊倉 洋一(Kumakura Youichi)

  • 株式会社日立ビルシステム フィールドサービス事業部 保全技術開発本部 システム開発部 所属
  • 現在,遠隔監視システム,管制センターの開発に従事

高橋 才明Takahashi Masaharu

高橋 才明(Takahashi Masaharu)

  • 株式会社日立ビルシステム フィールドサービス事業部 保全技術開発本部 保全技術開発部 所属
  • 現在,ウエアラブル端末活用による保全作業のデジタル化に従事

1. はじめに

株式会社日立ビルシステムでは,昇降機利用者の利便性とさらなる安全性向上,サービスメニューの充実,保全作業効率向上を目的として,1994年にエレベーターの遠隔知的診断システム「ヘリオス(Hitachi Equipment Remote and Intelligent Observation System)」を保全作業に導入した1)

ヘリオスシステムの特徴は,以下のとおりである。

  1. ヘリオス端末装置が昇降機制御装置から稼働状態データを定期的に読み出し,公衆回線を経由して日立ビルシステムの管制センターにあるサーバへ送る。サーバでは,このデータと診断アルゴリズムによって,機器の動作や劣化状態を点検・判定し,結果に応じてFE(Field Engineer)が行うべき保全作業を自動的に計画する遠隔点検を実施する。
  2. 昇降機からの故障信号を検知すると,故障状態に応じた故障発報信号を即座に管制センターへ発信する。故障情報は管制センター経由で保全担当営業所にも送られ,迅速に対応される。特に乗りかご内に利用者が閉じ込められる「閉じ込め故障」にその効果が発揮され,管制センターと保全担当営業所の連携により,非常にスピーディな対応が行われている。
  3. 故障直前までの各装置制御信号のオン・オフ状態を自動的に保存するほか,故障原因確認のための故障原因捕捉モニタ機能を装備するなど,細部にわたる原因調査が可能な機能を備えている。
  4. サービス向上のため,故障時の遠隔自動復旧サービスや地震発生後の自動復帰サービスなど機能を充実させている。

このように,ヘリオスシステムは昇降機利用時の安全性向上やサービス機能拡充に貢献してきたが,昇降機を健全に保つための保全作業という視点では,FEの経験と判断力が依然として必要である。

しかし,昨今の人口減による働き手の減少,高齢化によるベテランエンジニアの引退など,個人が培った技術に頼っての高品質な保全サービスの維持には課題がある。

そこで,ヘリオスシステムをベースとして,これをさらに高品質な保全サービスへ発展させるべく,ヒトとIoT(Internet of Things)の連携によるスマート保全システムを開発し,適用を開始している。

本稿では,本システムの基盤技術であるAI(Artificial Intelligence)を活用した故障復旧支援,ウエアラブル端末の活用による保全作業の高品質化・デジタル化について述べる。さらに,本システムで管理する昇降機保全情報をビルオーナーへ提供するダッシュボードについても紹介する。

2. 人とIoTの連携によるスマート保全システム

2.1 AIを活用した故障復旧支援

現在,日立ビルシステムで保全作業を請け負っている昇降機の平均経過年数は16.9年であり,適切なリニューアルの時期を過ぎた旧機種も多く存在する。FEは,これらの昇降機が故障した際は素早く駆けつけ対応することになっている。従来,FEは研修を通じて基礎知識および専門知識を学び,応用的な技術については先輩社員に同行して実際の故障現場を訪れるOJT(On-the-job Training)などによって,さまざまな故障に対応するノウハウを培ってきた。しかし,昨今の日本社会全体の変化で新規採用のFEとベテランFEの数的バランスが崩れる中,経験を積んだベテランFEの退職が進み,旧機種の技術が十分に伝承できない状況が発生している。今後これらの旧機種についても,品質と安全性を維持することが新たな課題となっている。

例えば発生頻度が少ない故障が旧機種で発生すると,復旧作業に時間を要したり,珍しい故障では原因究明に時間を費やしたりするなど,昇降機が長時間使えない状態,いわゆる長時間不稼働に至るリスクが高まる。

これに対し,日立ビルシステムではAIを用いた故障復旧支援システムの開発を行っている。このシステムでは,昇降機に故障が発生すると,それまでの運転でヘリオスが収集した主要装置の制御信号データが自動的にシステムへ送信される。

またFEが現場に到着し,状況確認を行って保全端末へ記録した現場状況データも同様にシステムへ送信される。その後,システムが過去の約90万件の故障対応記録を用いて,制御信号データと現地故障状態データ,故障対応記録とのパターンマッチング解析を行い,故障の原因となり得る原因候補を確率の高い順に並べ,どのような手順で調査を進めていくかをフローチャートの形でFEの保全端末に提示する。

図1に,AI故障復旧支援システムの有する機能とその流れを示す。エレベーターが故障したという情報は,故障要因が特定可能な場合に制御装置から発せられるエラーコードまたはビルオーナーからの電話連絡によって,管制センターに通達される。特に旧機種では,ヘリオスシステムが付加できず,異常音などでは故障情報データが生成されない場合もあり,このような状況においてどのように高精度な故障要因推定を行うかを示している。

図1|AI故障復旧支援システムの概要 図1|AI故障復旧支援システムの概要 システムが過去約90万件の故障対応記録を探索し,制御信号データと現地故障状態データ,故障対応記録とのパターンマッチング解析を行う。故障の原因となりうる原因候補を確率の高い順に並べ,どのような手順で調査を進めていくか,フローチャートの形でFE(Field Engineer)が所有する保全端末へ提示する。

故障要因特定が不可能なエラーコードの場合およびヘリオスシステムから故障情報が得られない旧機種の場合,FEが保全端末から入力した現場状況データと90万件を超える過去の故障対応記録テキストデータの突き合わせを行う(図2参照)。あらかじめ故障対応記録テキストデータから不具合情報を抽出し,故障状態との因果関係を導いておくことで,現地で入力された故障状態と合わせて故障原因の候補を絞り込み,故障発生確率が大きい順に提示することができる。

図2|機械学習による故障原因機器推定の例 図2|機械学習による故障原因機器推定の例 あらかじめ故障対応記録テキストデータから不具合情報を抽出し,抽出した不具合情報と故障状態の因果関係を導いておく。現地で入力された故障状態と,このあらかじめ導いた因果関係を使って故障原因候補を絞り込み,故障発生確率が大きい順に提示する。

さらに本システムは,故障事例を追加し,定期的に因果関係を解析することでAI学習を行い,精度を高める仕組みとなっている。本システムの導入により,故障原因の早期究明が可能となった。

2.2 ウエアラブル端末活用による高品質保全

AI故障復旧支援システムの導入により,短時間で高精度な故障対応が可能になるが,FEが確実に作業しなければ保全品質の向上は望めない。

FEは保全端末を用いて日々の保全作業をこなしている。例えばAI故障復旧支援システムによって故障要因が推定されると,調査対象の装置と手順が保全端末に表示され,FEはこれに従って調査を進めることになる。昇降機の限られたスペースで画面を確認しながらの作業になるため,体勢確認や照明確保など作業安全に配慮しなければならない。

ウエアラブル端末の進化により,さまざまな機能が実現されつつある。日立ビルシステムでは,保全作業のさらなる高精度化,作業安全性の向上の観点からこれらの新技術を取り込む要素技術開発に着手している。

具体的には,従来ノート型パソコンであった保全端末をウエアラブルコンピュータやAR(Augmented Reality)デバイス,ウエアラブルセンサー,通信端末(スマートフォン)に置き換え,ウエアラブルコンピュータと通信端末を核としてネットワーク化している(図3参照)。通信端末は社内のネットワーク上にあるサーバへ接続され,Lumada上のアルゴリズムで情報を処理する。本システムの特徴は,以下のとおりである。

図3|ウエアラブル端末活用による高品質保全 図3|ウエアラブル端末活用による高品質保全 保全作業のさらなる高精度化,作業安全性の向上を図るというねらいでこれらの新技術を取り込み,要素技術開発に着手している。

  1. FEが音声で必要な情報を入力すると,必要な指示が選択され,ARデバイスに表示される。FEは表示された指示に沿って作業を行い,確実な保全を実施する。作業を進めるうえで不明点などが出た場合は,後方支援者と画像・音声を共有し,直接指示をもらいながら作業を進めることができる。
  2. ARデバイスにはカメラが装着されており,作業完了後に対象機器を撮影し,画像を送信すると,従来は作業者が感覚で判定していた清掃状態の良否が自動で判定され,その機器の作業ガイドが表示されるなど,確実な保全作業が可能となる。
  3. ウエアラブルセンサーには,GPS(Global Positioning System),加速度,心拍数,体温などの各種検知センサーが備えられており,FEの健康状態をモニタリングし,後方支援者へ健康状態情報を送ることが可能である。これにより,FEの不調をいち早く検知して適切な処置を施し,熱中症を予防するなど重大事故の発生防止を図る。
  4. ウエアラブルセンサーは装着している人の動きをモニタリングでき,作業内容と作業上の動きを突き合わせ,「この作業でこの動きはおかしい」という矛盾を自動的に検知し,本人と後方支援者へ警告することで安全性の向上を図る。

現在,これらのウエアラブル機器を活用した労働災害VR(Virtual Reality)を作成し,安全教育における疑似体験を通じて安全意識の醸成に効果を挙げている。今後,こうした要素技術の完成度を高め,実フィールドに適用するシステムを構築していく。

2.3 保全作業のデジタル化

ベテランFEは,音や振動,温度や匂い,見た目の色など,わずかな変化を感じ取って機器の異常や劣化を察知することができる。これは現場において「何かいつもと違うな」という感覚が働くためであり,この感覚は日々の作業経験の積み重ねや過去の故障対応経験に基づく直感と考えられる。AI故障復旧支援システムにおいて故障要因の推定精度を向上するためには,このようなベテランFEの感覚をデジタル化して診断に組み込む必要があり,現在,次のような開発を進めている。

  1. 当該昇降機のヘリオス稼働データ,FEが携帯するウエアラブル端末のセンシングデータ,昇降機の振動・走行音データなどをデータベースに取り込むと同時に,FEが判定した稼働状態の正常・異常判断結果も入力する。
  2. FEの正常,異常判断結果に基づき,それぞれの稼働データとウエアラブルデータ,振動・走行音データの相関性計算を行い,正常群と異常群に分類する。
  3. 判定対象となるデータを用いて正常群,異常群とのマハラノビス距離※)を計算し,どちらの群に近いかによって正常か異常かを判定する。

このように人の判定結果に基づき,さまざまなデータの関連性を計算することで,人の感覚に近い診断ロジックが構築できると考える。また,教師データと呼ばれる「入力と出力データの相関性が明確に定義できているデータ」を提供し,今後,これらのパターンを学習させることでさらなる進化を図っていく。

※)
統計学で用いられる距離の一種。多変数間の相関に基づくものであり,多変量解析に用いられる。

3. 設備の稼働情報や保全情報をビルオーナーへ提供するダッシュボード

図4|スマートフォン向けBUILLINK画面(イメージ) 図4|スマートフォン向けBUILLINK画面(イメージ) スマート保全システムで管理する各種保全情報をPCやスマートフォン上で確認できる顧客・管理者向けダッシュボードを示す。稼働情報の確認だけではなく,「見える,つながる,動かせる」をコンセプトとした,エレベーターの運行制御や,かご内の情報表示変更など,多様なメニューを提供する。

ビル分野におけるLumadaの新ソリューションとして,スマート保全システムで管理するビル設備の稼働情報や保全状況をパソコンやスマートフォン上で確認できる,ビルオーナー・管理者向けダッシュボード「BUILLINK」の提供を2019年11月に開始した2)。これは,エレベーターなどのビル設備の稼働情報や,広域災害時の復旧状況などを直接把握したいビルオーナーや管理者のニーズに応えるものである(図4参照)。稼働情報の確認だけではなく,「見える,つながる,動かせる」をコンセプトとした,エレベーターの各種状態データや,かご内の情報表示変更など,多様なメニューを提供するとともに,ペーパーレスによる業務効率化に貢献している。

また「BUILLINK」は故障復旧情報とも連携しており,ビルオーナーは閉じ込め故障などを即時に認識できるだけでなく,故障時の遠隔自動復旧サービスや地震発生後の自動復帰サービスなどの対応状況,FEの支援出動状況をリアルタイムに把握でき,いつエレベーターを使用できるのか確認することが可能となる。これにより,ビルオーナーや管理者の管理効率を高めるとともに,エレベーター利用者の利便性が向上し,ビルオーナーの資産価値向上に貢献することが期待できる。

4. おわりに

本稿では,AIを活用した故障復旧支援システムと,ウエアラブル端末活用による保全作業のデジタル化,本システムで管理する昇降機保全情報をビルオーナーへ提供するダッシュボードについて述べた。

今後,ベテランFEの感覚を数値化し,人の感覚に近い診断ロジックを構築するとともに,人の感覚に近い診断ロジックを教師データとして提供し学習させることで,AIを活用した故障復旧支援システムのさらなる進化を図っていく。

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