成熟した現代社会において,移動や就労,就学,交流の場となるさまざまな施設は,老朽化や資金の不足,混雑過多などの課題を抱える一方で,犯罪やテロ,新型コロナウイルス感染症などのさまざまな脅威にさらされている。
これに対し,日立は安全かつレジリエントで,効率的で柔軟性が高く,非接触・高信頼な空間の実現に向けたビジョン「スマートスペース」を掲げている。本稿では,このビジョンを実現するカメラやセンサーを用いた映像解析,最新のアナリティクス,統合デジタルコントロールセンターソリューションについて紹介する。
人々の移動や就労,就学,交流の場であり,市民社会の中心的な存在である空港や駅,学校,ショッピングセンター,娯楽施設といった公共空間では,近年,さまざまな課題が顕在化している。
こうした施設は老朽化や資金の不足,混雑過多などに直面しており,その現状はスマートとは言い難い。また,近年ではこれらの施設の脆弱性が浮き彫りとなっている。こうした施設は犯罪やテロのソフトターゲットとなりやすく,2005年のロンドン同時爆破テロ,2016年のブリュッセル連続テロ,2017年のマンチェスター・アリーナの爆発事件などはほんの一例にすぎない。さらに,新型コロナウイルス感染症のパンデミックではこれらの空間が感染の温床となる可能性が示唆されたことで,商業施設は閉鎖され,人々は公共交通機関の利用を避けるようになった。
これに対し,日立は移動や就労,交流の場を安全かつレジリエントで,柔軟性に富み,非接触・高信頼な空間とすることをめざしている。
本稿では,ビデオカメラやセンサーを用いてリスクや脅威を追跡する映像解析,施設内における人流やスタッフ・設備のリアルタイムな最適化など最新のモデリング・シミュレーションソフトウェア,統合監視を担い継続的な改善を提案するデジタルコントロールセンターといった,「スマートスペース」のビジョンを実現する日立の技術と取り組みについて述べる。
図1|スマートスペースソリューションを構成する要素 スマートスペースには検知と追跡を担う映像・センサーインテリジェンスシステム,設備やリソースの割り当てを最適化するアナリティクス・シミュレーション機能,スペース全体を統合的に管理し継続的な改善を促すデジタルコントロールセンターという三つの要件がある。
図2|スマートスペースのユースケース 感染症対策,公共施設のセキュリティ,生産現場における安全確保など,スマートスペースの用途は多岐にわたる。
日立の定義するスマートスペースには,次の三つの要件がある(図1参照)。
また図2に示すように,スマートスぺースの用途は多岐にわたる。
これらのユースケースは駅や空港,娯楽施設などの伝統的な空間から,製造や建設など産業の現場までさまざまな環境に適用可能である。
日立は,映像監視システムを用いて人や物体をニアリアルタイムで追跡できるAI(Artificial Intelligence)技術を開発した。これは,複数のビデオカメラが捉えた膨大な数の映像を解析エンジンにより高速で検索し,条件として設定した形や色などの特徴が合致する人や物体を特定できる。この技術はHitachi Multifeature Video Searchシステムにも活用されており,近年,セキュリティ上の大きな問題となっている荷物の置き去りの検知など,公共スペースにおける不審物や不審行動を検知する。なお,パリ=シャルル・ド・ゴール空港では,2017年の1月から9月にかけて放置荷物に関する業務が1,000件以上発生し,400以上のフライトが遅延している2)。
欧州の空港との協創を通じて開発された日立のアプリケーションは,荷物が放置されると,セキュリティスタッフにアラートを発出する。そして荷物を置き去りにした人物の特徴を特定し,同様の特徴を持つ人物を空港全体を通じて追跡できる。これにより,セキュリティスタッフが介入するなど適切な対策を講じることが可能となり,警備費用の削減や空港業務の不要な中断の回避が期待できる。
また,ドイツにおける鉄道駅構内のセキュリティに関するプロジェクトでは,プラットフォームに寝そべっている人の検知など,さらなる安全・セキュリティの向上に向けてHitachi Multifeature Video Searchシステムを拡張している。ドイツ人工知能研究センターとの協創では,センサーで作業者の動きや姿勢を検知し,安全性と生産性を向上するためのユースケースも開発されている。
また,2020年3月に新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが欧州を直撃したことを受け,交差感染のリスクが高い接触の多い表面の特定や,ソーシャルディスタンシング,フェイスマスク着用など感染防止に向けたルールからの逸脱の特定といった,新型コロナウイルス感染症対策に向けたソリューションを提供するべく,イノベーションに取り組んだ。
一方で,欧州はGDPR(General Data Protection Regulation)をはじめとして,個人を特定できるデータの利用に厳しい法律を設けており,ビデオ映像やセンサーデータは特にセンシティブな問題である。そこで,市民のプライバシー権を侵害することなく映像やセンサーから得られるデータを活用可能なプライバシープラットフォームを開発した(図3参照)。
図3|プライバシーを優先するクラウドのコンセプト 防犯カメラ映像の利活用にあたっては,プライバシーの保護が重要となる。日立のプライバシープラットフォームは,カメラに映り込んだ人のプライバシー権を侵害することなく,映像データを活用できる。
図4|鉄道駅における利用客の人流最適化の例 システムに構成されたインフラとデジタルサイネージは協調して動作し,移動する人の経路を最適化してスムーズな人の流れを作り出すことで,混雑を低減し,密を回避し,移動時間を最短化する。
施設の利用者やスタッフのワークフローとリソースの配置をモデリングし,シミュレーションを通じて最適化するデジタルツインと,センサーや映像を用いた解析技術・ソリューションを組み合わせる機会は多い。これらは,空間をより安全に,よりレジリエントにするとともに,密を回避し,混雑に対応するという点で重要である。
スマートスペースの最適化には,六つのキー領域がある。すなわち,4Mのコンセプトを拡張した,Human(顧客とスタッフ),Machine(機材や設備),Material(消耗品),Method(ワークフローと割り当て),Space(例えば空港などの場所)とTime(時間)である。
日立が注力している社会イノベーションの一つが,鉄道駅などの混雑した空間における利用者の流れの最適化である(図4参照)。このソリューションでは,以下の三つの課題の解決を図るべく,センサーデータを用いた解析と最適化を活用している。
本ソリューションは,駅に入場する利用者数の制限,改札の出入りやエスカレーターの昇降方向の動的切り替え,通路や階段の一方通行指定などのデジタルサイネージにより,これらの状況の発生を最小限に抑えることをねらいとしている。利用者の数と移動経路が1日を通して変化すると,各種設備は自動的に調整され,利用者の流れを最適化する。
このソリューションでは,オペレータが定める目的関数を満たす最適なリソース構成を導出するため,機械学習と数理プログラミングを組み合わせている。この目的関数は,例えば総移動距離・時間や,混雑の影響を受ける利用者の総数などであり,エスカレーターの容量や利用可能なリソースなどインフラの物理的な制約を考慮して最適化され,結果は設備やスタッフのデバイスに直接伝達される。映像とセンサーを用いた他のユースケースとして,空港や駅の接触面を対象に,清掃活動の優先順位を決定するものもある。
施設内に設置される統合デジタルコントロールセンターでは,スクリーン上でスマートスペース全体を可視化し,センサーと運用システム,最新のアナリティクスを組み合わせ,管理者のリスク評価,リソース計画,変化や突発的な事象への迅速な対応を可能にする。
例えば,英国のある大型病院では,需要の変化に対応し,設備とリソースの割り当てを最適化するなどの観点から,運用の改善を迫られていた。これに対し日立の統合デジタルコントロールセンターは,患者のニーズに応じたベッドや手術室,設備の割り当てなど,スタッフが必要とする情報をタイムリーかつ視覚的に提供することで,患者の待ち時間を減らし,移動経路を最適化する。
日立はこれまでに,市民をテロやウイルス感染から守ることを目的としたスマートスペースソリューションを数多く開発してきた。そして次のステップとして,スタッフやリソース,利用者の流れをシミュレーション・モデリングし,最適化する,進化したアナリティクスを活用する。これらは交通機関やオフィス,商業施設など,市民社会に必要不可欠なサービスを安全で高信頼,便利な空間に保つために,パンデミック後の復興においても必要な取り組みである。
今後は,スマートシティ実現に向けた動的交通や大量輸送の最適化といったより広範な用途でも,これらのソリューションをグローバルに活用していく。