日立評論

「人々の安寧とより良き生存(Human Security and Well-Being)」をめざす企業

その羅針盤としての倫理

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日立評論

目次

執筆者紹介

日立製作所 名誉フェロー
小泉 英明

小泉 英明

  • 日本工学アカデミー 栄誉フェロー/顧問(前上級副会長)
  • 東京大学 先端研フェロー/先端研ボードメンバー
  • 国際理工学アカデミー連合(CAETS)理事
  • 日立製作所にて環境・医療などの分野で多くの新原理を創出し社会実装した。
  • 中国工程院外国籍院士ほか欧米の諸研究機関の国際諮問委員を兼務。理学博士。

T. 経済学の原点にあった倫理

近代経済学の父と呼ばれるアダム・スミス(Adam Smith,1723-1790)が,市場は強く統制せずとも自由競争によって望ましい均衡へと向かうとしたことはよく知られている。一部の経済学者が指摘するように,スミスによる「見えざる手」(Invisible Hand)という言葉は,主著とされる『国富論』(An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, 1776)には,ただ一か所のみ,節度ある経済統制や規制の議論に現れる。

この言葉は,『国富論』の前提となるもう一つの主著『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments, 1759)に初出し,最初の章の第1項は「共感」(原著ではSympathy)から始まる。この両著作を合わせた論理構造は,最新の脳神経科学から見ても的を射ている。一般にスミスは経済学者として知られるが,もとは倫理学者であって,経済学の根底に道徳(倫理)を据えていた。

U. AIを基調とした人々の安寧とより良き生存

広義のAI(Artificial Intelligence)は,脳神経系機能の一部を人工物で代替しようという試みである。デジタルと呼ばれる情報処理は,古代中国の陰陽ビット系(易経)が,ライプニッツによって二進法体系として確立されたものに立脚する。生物の情報処理も,神経接続部の閾値によるオン・オフのビットが基本である。人間の情報処理も微視的に見れば,神経のビットが要素単位であるが,巨視的に見るとアナログとなる。ビットの概念は,古代の原子論から量子論へと飛躍し,波動を基調とした量子ビットという概念に進みつつある。

さらに古代の印刷概念は,現代の半導体製造技術に結実し,高密度集積技術と高速演算によって,現在の情報処理技術を全面的に支えている。そして現生人類(ホモサピエンス)の高次脳機能の一部を代替するのがAIであり,代替範囲の拡張は未知で広大な領域である。そこにAI倫理の本質がある。人文学・社会学と自然科学が架橋・融合された新たな倫理体系が必要とされてくる。

V. 薄膜の地球生命圏と生存への環境問題

「人々の安寧とより良き生存」を希求する際に,人文学・社会科学から考えるだけでなく,現実の倫理を成立させる束縛条件(動かせない基本的な制約)を,自然科学から吟味することが必須である。48億年前に太陽系の天体として地球が誕生し,38億年前には生物が現れ,浅い海に大量発生した藍藻の光合成によって,古代大気に酸素が送りこまれた。現在は酸素約20%の大気圏と大洋が地球生命圏を構成する。大気の半分(質量比)は地表6 kmまでに存在し,100 kmより外は宇宙と定義されている。すなわち,人間が住むのは半径6,400 kmの地球にへばり付く表層であり,我々はいわばシャボン玉の薄膜に住んでいる。

現生人類は地球生命圏の中で,種の総重量が最大であり,薄膜内に現生人類が作りだした人工物(Human Artifacts)の影響が直接及ぶようになった。人工物の副産物としての温室効果化ガスによる地球温暖化や,ウイルスの都市部への拡散によるパンデミックなどが,その典型例である1)

W. 普遍的な倫理学

人文学で扱う倫理は,習俗から法と倫理・道徳へと発展してきたが,未来の社会を普遍的に考える際には,自然科学を含めた新たな倫理体系が必要となる。脳神経科学では,感情を人類特有の高度な情動とし,動物一般に見られる情動と峻別する。スミスが示した共感(Sympathy)も情動の一部であるが,情動(Emotion) の階層の最上位に位置付けられ,人間特有であることが最近の進化発達科学や認知神経科学の研究で明らかになってきた。肉体的にはか弱い人間が,社会を創って初めて他の強靭な動物種に対峙した結果,共感性などの感情が特異的に進化したと,科学的に証明されつつある。これは,共生(ともいき)や利他(Altruism)の思想の科学的基盤となる2),3)

V. 新しい企業倫理の原点としての日立グループ黎明期

日立鉱山の現況日立鉱山の現況

日立製作所は1910年に日立鉱山の中に起業したが,小平浪平創業社長は日立鉱山の久原房之介社長に傾倒して,日立鉱山に移籍していた。そこには一貫した企業倫理があった。当時,国家が必要としていた大量の銅の産出と,避けがたい公害の狭間での企業倫理である。日立鉱山は苦心惨憺の末,1915年に世界一高い煙突の建設に成功するとともに,最初の高層気象台とされる観測所をその周囲に配置して,排煙と生産の最適化を図った。企業倫理を基調にして,科学技術による社会問題解決を図ったのである。その精神は今日まで脈々と受け継がれ,倫理を基調とした新たな企業の理念(Ethical Company)として,再び注目されている4),5)

参考文献など

1)
H. Koizumi, Engineering for Human Security and Well-Being, Engineering, 1, pp. 282-287(2015)
2)
H. Koizumi, Ethics-Based-Engineering: Importance of Academy’s Initiative Toward Human Security and Well-Being. In Healthcare Engineering(R. Shorey and P. Ghosh, Eds.), pp.1-7, Springer (2017)
3)
H. Koizumi, Scientific Learning and Education for Human Security and Well-Being. In Children and Sustainable Development(A. Battro, P. Lena, M.S. Sorondo, and J. Braun, Eds.), pp.239-257, Springer(2017)
4)
小泉英明,脳科学から見えてくる資本主義―自然科学と人文学・社会科学の架橋融合. 資本主義はどこに向かうのか(堀内勉・小泉英明編著),pp.162-203,日本評論社(2019)
5)
Nature,Listening to locals is key to building Society 5.0
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