2023年2月28日
デジタル技術の発達やビジネスのグローバル化,それに伴う企業活動の多国籍化を背景に,技術開発に携わるエンジニア・研究者にも分野を超えた幅広い視野と柔軟な思考が求められている。その中でも特に欠かせないのは,今日の社会のあり方から私たちの生活の隅々に至るまで,絶えずさまざまな変化をもたらし,大きな影響を与えている科学・技術なるものの本質を俯瞰的にとらえる視座であろう。
本連載では,リベラルアーツ研究家として多彩な啓発活動を展開している麻生川静男氏が,古代から近代へと至る世界の科学・技術史をひも解きながら,これからのイノベーションへの手がかりを探っていく。
中国の科学技術というと,紙,印刷術,火薬,羅針盤の四大発明が有名だ。これだけではなく,中国は古代から非常に高い科学技術を誇っていた。周の時代の「青銅器」は紀元前2000年頃に突如として高い完成度のものが出現している。一説にはメソポタミアあるいは中央アジアの方から伝播した技術ともいわれるが,それでも高度な技術であることには間違いない。
中国で高度に発達した科学としては天文,数学,医学が挙げられる。とりわけ天文に関していえば,天体現象と地上の出来事は関連していると考えたため,日食,月食,彗星などの綿密な観察記録が古くから残されている。史記以降の歴代の歴史書には天文関連の精密な記事が書き残されている。ただ,ギリシャで見られたような天体の構造や惑星の運行法則などに関する研究は中国ではなされなかった。
天文学に関連する数学も高度なレベルに達していた。ギリシャと異なり,中国では幾何学はなく,すべてが代数部門であった。ずっと後になって,明代に「算盤」ができて,数値計算のような実用数学レベルが格段に上がった。算盤のような優れた計算道具は他の文明圏にはなかった。
物理の観点では,地磁気の観察においてヨーロッパより数百年も先んじていた。医学面では,臨床医療が進んでいた。鍼灸や漢方薬などによる治療は現在でもなお高く評価されている。
また技術面では,冶金学が特筆すべきものであろう。「鋳鉄」が古代から中国にはあったが,ヨーロッパより2000年ばかり先んじていた。
中国にはこのように非常に高いレベルの科学技術が存在していたのだが,近世の中国しか知らない欧米人にはそのような過去があったとは信じられなかったであろう。というのも,中国が19世紀半ばにアヘン戦争でイギリスに敗れてから,欧米人は中国は全くの未開国だと考えるようになったからだ。このような偏見を覆したのがケンブリッジ大学の化学の教授,ジョセフ・ニーダムであった。研究室の中国人留学生から,かつて中国には高度な科学技術が存在していたという話を聞き,興味を持った。そして,中国は科学技術が進んでいたにもかかわらず,なぜヨーロッパに負けてしまったのかと疑問に思い調査するようになった。これは「ニーダム・クエスチョン」(The Needham Question)として知られている。
"Why China had been overtaken by the West in science and technology, despite its earlier successes?"
「中国の科学技術は早い段階で高いレベルに到達していたにもかかわらずどうしてヨーロッパに負けたのか?」
ニーダムは自らのこの問いを「中国の科学技術の発展/衰退は,科学技術だけの問題ではなく,文明の思想の根幹に関わる問題である」と考え,問題解決の究明に当たった。
さて,ジョセフ・ニーダムであるが,1900年生まれで,30代半ばですでに発生生化学者の権威となった。ところが,1937年に日中戦争が勃発したため,3人の中国人学生がニーダムの研究室に留学したことをきっかけに中国の文明と科学技術の研究にのめりこんだ。ニーダムは語学に長けていたが,当時すでに37歳になっていたので,漢字だらけの中国語は難しかったに違いない。それでも1995年に逝去するまで,漢字の文章と格闘しながら巨大な(monumentalな)『中国の科学と文明』という書物の完成に尽力した。
かつて科学史家の桑木ケ雄氏は「『資治通鑑』も読まずして何が歴史ぞや」と喝破し,科学史だけでなく,「資治通鑑や二十二史なども通読せんとした」と兄で哲学者の桑木厳翼が述懐している。(参照:矢島祐利,『科学史とともに五十年』)。つまり,「いやしくもある分野の一級の書物を読まずしてその分野について語るなど,無謀でナンセンスだ」という訓戒だ。この教えに従い,本稿では中国の科学技術について述べるのであるが,巨星ニーダムに触れずに済ますわけにはいかない。ニーダムの書き残した『中国の科学と文明』の大冊を読み,われわれ日本人がニーダムの取り組み姿勢から中国の科学技術(と文明)について何を学べるか,そしてどのように学ぶべきかについて述べたい。
図2|英語版:ニーダムの『中国の科学と文明』 出典: https://www.capitolhillbooks-dc.com/pages/books/8807/rose-kerr-nigel-wood-tsai-mei-fen-zhang-fukang-joseph-needham-series-ed/science-and-civilisation-in-china-volume-v-part-12
1948年にニーダムはケンブリッジ大学で『中国の科学と文明(Science Civilization of China)』というプロジェクトを立ち上げた。中国の文明と科学技術を包括的に調べ,原文(漢文)からの引用もすべて英訳するという極めて野心的,というか,途方もなく無謀に思えるプロジェクトであった。それまで,欧米人だけでなく世界の人々にとって,漢字の世界の科学技術は未知大陸(Terra Incognita)であったが,彼はその扉を開いた。それまで,18世紀のフランスで流行したシノワズリ(chinoiserie)のように中国への関心は主として工芸品であった。また,元来ヨーロッパ人は文化の中心は宗教や哲学だと考えているので,中国においても哲学・思想の分野に対する興味は強く持っていた。イギリス人のジェームズ・レッグ(James Legge)が19世紀に中国古典を英語に翻訳したことで,ようやく中国の伝統文化の一端が広く世界に知られることになった。その後,スタインやペリオが敦煌の遺跡から数多くの文献をイギリスとフランスに持ち帰ったことで,欧米において,中国哲学や文学に対する興味が高まった。しかし,これら欧米の関心は中国の科学技術に向かうことはなかった。結局,ニーダム登場以前の欧米の中国理解は極めて偏頗なものであった。
ところが,ニーダムプロジェクトの成果として1956年に『中国の科学と文明』の第1巻が出版発表されて以降,中国の科学技術の詳細が次々と明らかになるにつれて,世界の中国に対する認識が大きく変わった。
英文の『中国の科学と文明』は,全7巻(27分冊)構成であるが,それぞれに1,000ページぐらいの分冊が数冊あるので,1巻だけで,数千ページあるというとんでもないボリュームの巨冊である。このプロジェクトは1950年代に始まり,現在に至るまで70年以上も続いており,ほぼ完成に達しているようだが,最終的な完成にはまだもうしばらくかかると思われる。
日本語版の『中国の科学と文明』は,1970年代に完成していた部分の翻訳を思索社が手がけた。第1巻の出版は1974年で,最後の11巻は1980年に出版された。この期間は私の学生時代にオーバーラップしているが,見かけた記憶がない。もっとも,それぞれの巻が500ページもあり,12,000円もする高価な書物なので,学生の身分には到底手の届かない本であった。巷の噂では,思索社はこの翻訳にあまりにも多額の費用をかけ過ぎたため経営が行き詰まり,1992年に倒産した。それで,日本語訳は中途で頓挫している。日本語版11巻は英語の原版の第4巻までで,全体の1/5でしかない。つまり化学,生物学,農学,医学,社会的影響に関する部分は未訳ということだ。
図3|日本語版『中国の科学と文明』 出典: https://aucview.aucfan.com/yahoo/p1037842024/
私がニーダムを知ったのは,残念ながらニーダム没後であった。その後,京都大学に奉職中,私は図書館の倉庫で『Science Civilization of China』の原書を手にしたことがある。文章自体は理解できるものの,ローマ字表記の中国の人名や地名では肝心なところが理解できない。表記は現在の標準であるピンインではなく,旧式のウェード式で書かれていた(ひょっとして,現在はピンインに直されているのかもしれないが)。それを思うと,11冊だけでも日本語に翻訳されたのは非常にありがたい。日本語訳は序編,思想史,数学,天の科学,地の科学,物理学,機械工学,土木工学,航海技術などの内容を含む。日本語のこれら11冊を読むかぎり,実際には科学より技術に関する記述の方が多い。
中国の科学技術の歴史に関しては,参考文献に挙げるように数多くあるが,ニーダムのこの大著から私たちは何を学べるのだろうか?
ニーダムの本から,中国の科学技術の各分野の詳細な事実を知ることができるのはいうまでもないことだ。ただ,そのような情報であれば,ニーダム以外にも数多く存在している。ニーダムの本ならでは,といえるのは「ニーダムの関心の広さと深さ」にあると私は考えている。この点に関して,中国の科学技術史の権威である故・薮内清氏の書物と比較してみよう。
薮内氏は中国の天文学を主軸とした中国科学史の専門家であり,論文や専門書の他に,一般人向けの書も多い。中国科学技術史については「東に藪内,西にニーダムあり」との評判を得ていた。ニーダムは大人数の協力者を得てどんな難路でもかまわず突進するブルドーザーのような研究姿勢であったが,薮内氏は精緻で,研究チームは少数精鋭の密度の濃い研究態度であったという。学風は異なれども互いに偉大さを認めあっていたと言われる。
私は,薮内氏の『中国の科学と日本』,『中国の科学文明』,『中国の数学』,『中国古代の科学』などを読んで,中国の科学史の大枠を知ることができた。しかし,ニーダムの本を読んだあとで,改めて薮内氏の『中華文明の形成』(岩波書店)を読んでみると,カラー写真の世界から一転して白黒写真の世界に入ったような感覚になる。薮内氏の場合,たまに話が中国以外に及ぶことはあっても,考察対象は基本的に中国だけだ。このような書物だけで学ぶと視野が狭くなるだけでなく「単一の分野に絞った専門書が上等なのだ」と考える人間ができてしまうのではないかという危惧を憶えた。科学技術のように本来的にグローバルなテーマを研究するときは,特定の地域にとらわれるのではだめだと私は考えている。このことは,薮内氏自身も同様に感じていたようで,「…中国の隣国に位置し長くその影響を受けてきた日本に生まれた者にとって,ニーダム氏に先を越されたという思いはいつも頭を去らない」と述懐している。
図4|清明上河図 張択端 出典: https://zh-min-nan.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Te%CC%8Dk-sek_si%C3%A1-chin/9_goe%CC%8Dh_15_ji%CC%8Dt#/media/t%C3%B3ng-%C3%A0n:Along_the_River_During_the_Qingming_Festival_(detail_of_original).jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/Along_the_River_During_the_Qingming_Festival_%28detail_of_original%29.jpg
図5|ブリューゲル バベルの塔 出典: https://pbs.twimg.com/media/Fb-5b-zaAAYFR_r?format=jpg&name=4096x4096 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Pieter_Bruegel_the_Elder_-_The_Tower_of_Babel_(Vienna)_-_Google_Art_Project_-_edited.jpg
ニーダムの文献上の資料は非常に幅広い。技術関係の『夢渓筆談』,『天工開物』,『遠西奇器図説』のような資料だけではなく二十四史のような歴史書,『太平御覧』,『太平広記』,『冊府元亀』,『古今図書集成』のような大部の類書,『荘子』,『文選』,『世説新語』などの文芸書にまで及ぶ。文献の範囲は中国だけにとどまらず,朝鮮,日本の近隣諸国はいうに及ばず,ヨーロッパやイスラム圏にも及ぶ。これだけ幅広い資料から中国の科学技術のレベルを評価しようとしたのがニーダムの意図であった。
ニーダムは文献資料だけを検討したのではなく,建築物,ダムなどの現場も訪ね,人々の活動を観察した。また,絵画,工芸品,発掘物などからも当時の技術の活用現場を理解しようとした。
例えば,『清明上河図』は北宋時代(12世紀)の庶民の暮らしが克明に描かれている有名な絵画であるが,ニーダムは運河に停泊している船の舵や,陸上で物資を運搬している一輪車などの図から中国の技術を解説している。
西洋でこれに匹敵するのが,ブリューゲルの描いた「バベルの塔」であろう。ここには,16世紀当時のヨーロッパの最新の建築技術が網羅的に詳細に描かれている。これによって,文章上では想像しにくいクレーンの様子などもリアリティをもって知ることができる。
ニーダムはさらに筆,墨,留め金といった日用品――現代でいうと,百円ショップで売っているようなこまごまとした雑貨や民族博物館に展示されているような品々――にも技術が溢れていることに注目している。このような博物学的興味を持っていないと,技術の真髄を知ることはできないのだろう。
ニーダムのような存在はイスラムの科学技術史研究者にはうらやましく思えたようだ。前回のイスラムの技術で紹介したアル・ジャザリ―の『The Golden Age and Decline of Islamic Civilisation』の中で,ドナルド・カードウェルの次の言葉が引用されている。
「残念だが,アラブの科学技術の研究に関しては,ニーダムが中国に関して成した記念碑的な研究業績はまだない。」
科学史家の中岡哲郎は,ニーダムの『中国の科学と文明』の機械の部分の翻訳を担当した。当初,ニーダムの本に多くついていた注釈はうっとうしく,「砂をかむような」思いをしていたようだが,次第に注に書かれている事実を一つ一つ確認する作業にはまり込んでいった。翻訳を終える頃には,中国技術史をもっと勉強したいと思うようになったという。それ以上に,ヨーロッパ中世の技術史を勉強したいと思うようになったと吐露している(第9巻,月報『翻訳を終えて』)。
中岡氏の感想にあるように,ニーダムの本には中国だけでなく,ヨーロッパや中東(イスラム)の科学技術がしばしば登場するので,読者が今まで知らなかった事柄への興味が湧起される。中岡氏が言うように現代の科学技術がヨーロッパで始まったことを理解するうえで,ヨーロッパ中世の技術史を理解することは非常に重要だと私も思う。
中岡氏は1年という短い期間ではあったが,ケンブリッジに滞在し,ニーダムを間近に見た。帰国後,その時の印象を書いたのが『イギリスと日本の間で』(岩波・同時代ライブラリー)という本である。以下にニーダムの人間性に触れる部分をいくつか紹介しよう。
ところで,科学史家の故・中山茂氏も証言するように,ニーダムが中国語を学び始めたのは30代も半ばを過ぎてからのことである。世界の言語は文法的な難しさはともかくも,使っている文字数はいずれも100字に満たない。ところが漢字だけは文献を読むのに必要な文字数は優に数千字を超える。率にして数十倍だが,実際の困難度からいえば百倍以上の感覚であろう。参考までに、現在の日本の教育漢字は約1,000字だが,一般的に使われている常用漢字は約2,000字ある。
われわれ日本人は幼少のころから漢字を見慣れているので気付かないが,外国人にとっては最低レベルでも1,000字を超える漢字は非常に高い文化バリアーだ。日本に長らく住み,日本語がかなり流暢な外国人でも,毎日漢字を練習しないとすぐに忘れてしまうという話を聞いたことがある。ありがたいことに,現代の自動翻訳機能(DeepLやGoogle Lensなど)や自動文字変換機能を使うことでこの高い文化バリアーはかなり低くなったが,従来,漢字を使っている中国と日本の状況は,文字情報の観点では外の世界と隔絶された別世界であった。その中で膨大な中国の書籍に目を通し,前人未踏の書物をつくり上げたニーダムの超人的な努力に驚嘆する。
ニーダムの『中国の科学と文明』の記述内容には正確さに欠ける,あるいは曲解している部分があるという指摘はすでに何人かの専門家から出ている。例えば,巻7『物理編』を訳した橋本万平氏は次のように述べる。
「……力学にしろ光学にしろ,ニーダム博士の拠り所の中心は『墨経』で,極めて多くの例証をこの本に求めている。しかしこの本の簡潔と難解さは,解釈の仕方でどうにでも意味が変わってくる。……(中略)……ニーダム博士は時折り誤った解釈をしているのではないかと思われるところがいくつかある。」
橋本氏の指摘はその通りだろうが,私が今回,中国の科学技術史でニーダムの業績に焦点を当てて説明したのは,彼の業績が優れているという面ではなく,むしろ彼の非常に幅広い分野に対する関心の深さと,そこに横たわるさまざまな疑問に対して真剣に取り組む姿勢を知ってほしいと思ったからだ。彼は中国の文明や科学技術を見ていても常に頭の中にはヨーロッパ文明との比較があった。つまり,学問領域の観点からは比較文明論といえるが,最終的には人類の文明や,人間の思考そのものを根源から知ろうとする強い熱意が感じられる。
われわれが手にできる日本語版は大型版で総ページ数が5,000ページにもなろうかという巨冊である。正直なところ,私はまだ全11巻を完全に精読したわけではないが,ともかくも一通り全巻に目を通した。そして,第1章Part 2で述べた,ルネ・タトンの『一般科学史(Histoire générale des Sciences)』を読んで以来の深い感銘を受けた。網羅的にはほど遠いが次のような感想を持った。