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Innovators’ Legacy:先駆者たちの英知科学・技術史から探るイノベーションの萌芽[第5章]中国の科学・技術編(Part2)

2023年3月29日

麻生川 静男

麻生川 静男

  • 1977年京都大学工学部卒業。1977年〜1978年ドイツミュンヘン工科大学短期留学。1980年京都大学大学院工学研究科修了,住友重機械工業株式会社入社。米国カーネギーメロン大学工学研究科に留学し,帰国後はシステム開発,ソフトウェア開発事業などに従事。徳島大学工学研究科後期博士課程修了。2000年に独立し,複数のITベンチャー企業で顧問を務め,カーネギーメロン大学日本校プログラムディレクター,京都大学産官学連携本部准教授を歴任。現在,リベラルアーツ研究家として講演活動や企業研修に携わる。著書に『本物の知性を磨く 社会人のリベラルアーツ』(祥伝社),『教養を極める読書術』(ビジネス社)など。インプレス社のWebメディア,IT Leadersに『麻生川静男の欧州ビジネスITトレンド』を連載中。博士(工学)。

デジタル技術の発達やビジネスのグローバル化,それに伴う企業活動の多国籍化を背景に,技術開発に携わるエンジニア・研究者にも分野を超えた幅広い視野と柔軟な思考が求められている。その中でも特に欠かせないのは,今日の社会のあり方から私たちの生活の隅々に至るまで,絶えずさまざまな変化をもたらし,大きな影響を与えている科学・技術なるものの本質を俯瞰的にとらえる視座であろう。

本連載では,リベラルアーツ研究家として多彩な啓発活動を展開している麻生川静男氏が,古代から近代へと至る世界の科学・技術史をひも解きながら,これからのイノベーションへの手がかりを探っていく。

目次

中国は古来「地大物博」(国土が広大で物資産が豊富)を誇る国である。このような社会を維持するためには,高度な技術を必要とするのはいうまでもない。ニーダムの大著『中国の科学と文明』はそうした中国技術を余すところなく記述するが,なにしろあまりにも浩瀚であるため,中国技術の全貌が却ってつかみづらい憾みがある。その欠点を補うべく編纂されたのが,ロバート・テンプルの『図説 中国の科学と文明』だ。この本はニーダムの著作のダイジェスト版ともいうべき内容で,中国の技術に関する主要項目が網羅されている。大項目は11個,小項目は100個もある。

[大項目:(1)農業,(2)天文学と地図作製学,(3)工学,(4)日常生活と工業技術,(5)医学と健康,(6)数学,(7)磁気,(8)自然科学,(9)輸送と探検,(10)音と音楽,(11)戦争]


本稿では,中国技術に関する事例を5件紹介しよう。


1.交通・運輸

広大な面積と巨大な人口を擁する中国では,交通,運輸は政治の優先課題の一つであった。とりわけ,戦国時代には軍事目的のため,その後は皇帝や豪族の遊興のために交通網が整備されたこともあった。有名なところでは隋の煬帝が南方へ遊覧するために開削させた大運河はその後,内陸の輸送路の大動脈となり,中国全体の経済発展を支えた。煬帝といえば暴君の印象が強いが,長期スパンで見た場合,煬帝はどの名君よりも中国経済の発展に寄与した善良な政治を行ったといえる。

中国では,内陸交通に運河の果たした役割は大きい。運河開削の際,土地の高低差を克服する技術があった。それは,閘門(こうもん)という仕組みで,パナマ運河のように運河の一部を仕切って,水位を上げ下げすることで低地から高地へ,あるいは逆の方向に船を移動させることができるシステムである。これは,宋代の科学書である『夢渓筆談』にも記述されているので,鎌倉・室町時代に中国に渡った日本の僧侶は実際に見たはずだが,彼らはこれにほとんど関心を払わず,日本にこの技術を取り入れようとはしなかった。日本では江戸時代にわずか1か所に閘門が存在しただけである。一方,清末に中国を訪問したイギリス人外交官のジョージ・マカートニーは庶民の生活や実用技術に関しても注意を払い,江蘇省の運河で見た閘門の様子を細かく記録に残している。このような点に日本とイギリスの科学技術に対する関心の差を見ることができる。

また,よく知られているように,玄宗皇帝は愛妃・楊貴妃を喜ばすために茘枝(ライチ,あるいはレイシ)を,都の長安を去ること1,000 kmもの南方から早馬を使って全速力で取り寄せた。というのも,茘枝は李時珍の『本草綱目』に「茘枝は枝からもぎとられると,一日で色が変わり,二日で香が変わり,三日で味が変わる。四,五日以上たつと色,香,味,すべてが無くなる」(若離本枝,一日而色変,二日而香変,三日而味変,四,五日外,色香味尽去矣)とあるように,極めて劣化の早い果物であるからだ。

玄宗皇帝の早馬は単なる浪費であったが,同じ贅沢目的とはいえ,煬帝の大運河は後世に莫大な恩恵をもたらした。結果論としていえば中国で頻発した戦争,反乱や,皇帝や豪族の贅沢は,皮肉なことに中国の技術や工芸の大いなる進歩を促したのである。

2.鋳鉄

中国の技術発展の歴史を見ると,ローマ帝国と同様,国家が多くの面で極めて深く関与している。例えば,その一つに鋳鉄がある。

鋳鉄は,現代の日本では「いもの」と呼ばれ,注目されることは少ないが,古代社会においては製造に高度な技術を要した。通常,鋳鉄の融点は1,150℃ぐらいであるが,中国の人々は鋳鉄にリン酸鉄を多く含む「黒土」を投入して,リンの濃度を6%程度まで高めることで,融点が950℃まで下がることを経験的に知った。この温度を得るのも易しくはないが,中国には幸運なことに木炭より火力がずっと強力な石炭が豊富にあったおかげで,大きな鞴(ふいご)で潤沢に酸素を送風して大量の鉄を溶かすことができた。鞴の駆動には人力を使ったが,『後漢書』の巻31には,杜詩が水力で駆動する仕掛け(「水排」と呼ぶ)を発明して,鋳物の農具を造ったことを紹介している(造作水排,鋳為農器)。この仕掛けは広く知られたようで『三国志』巻24には,韓曁(かんき)が人力の代わりに水力を用いることで利益が以前の3倍になったと述べている。(曁乃因長流為水排,計其利益,三倍於前。)

古代においては鋳鉄の製造が難しかったことは,科学史学者の薮内清氏が次のように指摘している。「ヨーロッパにおける鉄の歴史をみると(中略)やっと十四世紀にはいって鋳鉄,すなわち銑鉄が用いられるようになっている。古代文明国の鉄器は,すべて原鉱を木炭と同時に熱して還元して得られる海綿状のブルーム鉄を,加熱と鍛錬によって成形する方法をとっていた。ところが中国ではすでに西暦前六世紀末には銑鉄による鋳込みが行われていたことになる。」

このような技術がすでに春秋戦国時代に確立され,中国国内に広く知れわたり,漢代ともなると鋳造技術はいわばコモディティ化してしまっていた。このことは,前漢の武帝の時代に国家財政に関わる経済論争を記述した『塩鉄論』から十分推察できる。つまり,国境地帯の対異民族戦争の遂行に必要な多額の費用を賄うため,塩と鋳鉄の製造を国家が独占することで,それまで民間人が得ていた利益を吸い上げようと武帝が画策したのが塩鉄論の論争のもとであった。塩はともかく,紀元前の前漢時代に中国ではすでに鋳鉄製品に大量の需要があり,かつ民間人でも容易に鋳物を作ることができたということが分かる。このように,中国が早くから鋳鉄を作ることができたたのは,原材料,つまり鉄鉱石と石炭,それに木材が豊富にあったことによる。しかし,悲しいことに,金属類の溶解のために大量の木材が伐採されて森林破壊が起こり,洪水,旱魃などの原因ともなった。

中国の人々は概して何かにつけて巨大なものを好む。鋳物や鉄製品においてもその傾向が見られる。例えば唐代に作られたとてつもなく巨大な鋳物製品をみてみよう。

唐代,天冊万歳元年(959年)に武則天(則天武后)が直径3.6 m,高さ約31.5 mの八角形の天枢を円周51 mの円形の鋳鉄の土台の上に建てた。武則天は誇らしげにこの傍らに自ら「大周万国頌徳天枢」(世界を統治する周の徳を称える天下の中心柱)と揮毫した(『資治通鑑』 第205巻)。

実用的なところでは,長さ数百メートルもある巨大な鉄鎖で港の入口をふさいだり,あるいは川の両岸を結んで,敵の艦船の通行を妨害したという話は多く見られる(例:『資治通鑑』巻79,125,173,177,190,251,265,293,など)。これも高度な金属製造技術がなければ不可能であろう。

3.塩井,製塩

図2|四川省の塩井 図2|四川省の塩井 出典:『塩の世界史』(中公文庫)

鋳鉄が一番多く使われたのは,史書に麗々しく記載された記念碑や戦争道具ではなく,農具や工具だろう。農具(鋤)や工具(鑿,鉋),煮沸用の大釜などが食料生産や生活水準の向上に直結した。

その一つの例として,地下からの塩水の汲み上げがある。中国の陸地面積は広いものの,海岸線は東側だけに偏っているため,内陸地では塩を得るのが極めて困難である。しかし幸運なことに中国大陸はもともと海面下にあった土地が隆起したため,内陸地には高濃度の塩水を含んだ地下湖が埋もれている。

それで,例えば,白九江氏の「四川盆地における古代の塩業技術」という論文には「四川盆地では一貫して大口で浅い井戸がつくられた。大口の浅い井戸は主に自然の塩泉をかこって井戸としたものであり,またあるいは地表から浅い層の塩水を掘りあげて大井としたものである」とあり,普通の井戸を掘る程度の深さから塩水を得ることができる場所もあるという。また塩水と共に地下には天然ガスが蓄積されていることもある。井戸は深いところでは,250 mもの所があり,さらに深いものは1,000 mを超えるという。深い井戸を掘るには櫓を組んでそこから竹のロープの先につけられたドリル・ピットで土や石を砕きながら掘り進める。

そのようにして汲み出した塩水は同じく鋳鉄で作った大きな釜で煮詰めて製塩する。同じく白九江氏の論文には,「四川省の成都市から,口径が131 cm,深さ57 cmもあり,底部は100 cmもある漢代の大きな平底の鉄盆が出土したが,肉厚は3.5 cmもあり,重さは優に400 kgを超えるものであった」という記述がある。これから考えても,塩を煮詰める盆も相当大きなものが存在していたことが分かる。

塩水の汲み出しから製塩までの一連の作業を見ていくと,科学技術の発展の基礎には素材の存在がいかに重要であるかがよく分かる。つまり,鋳鉄がなければ,塩水を汲み上げるための深い井戸は掘れず,また,竹がなければ,深い井戸を掘り下げていくドリル・ピットを下げていくことができない。またいくら塩水を汲み上げても,大きな釜がなければ塩を煮詰めることは難しい。

4.一輪手押し車

図3|一輪手押し車 図3|一輪手押し車 出典:『図説 中国の科学と文明』ロバート・テンプル

簡単な道具でありながら,運搬の効率を劇的に高めた一輪手押し車(以下,「一輪車」と記す。)を紹介しよう。これは図3に示すように至って簡単な構造であるにもかかわらず,一人の人間の力で数百キログラムの荷物を運搬することができるものである。というのは,このような構造では荷重がちょうど車の軸の上にかかるので,ただ一輪車を推す力だけがあればよい。

このような道具が発明された時期ははっきりしないが,紀元前後ではなかろうかとニーダムは推測している。一輪車利用の確実なところでは三国時代の諸葛孔明が一輪車を使って物資を輸送したのではないかといわれる。その道具は『三国志』に木牛や流馬という名称で登場する。詳細は不明だが木牛とは轅(ながえ)が前についていて曳く形式のもの,流馬とは轅(ながえ)が後ろについていて押す形式のものであったようだ。

このように,物資輸送に多大な貢献をした一輪車がヨーロッパで見られるのは11世紀ないしは12世紀だという。中国とは1,000年の差がある。このような実用的な技術の一輪車についてニーダムは非常に高い評価を与えている。

科学技術史の記述というと,複雑な内容のものばかり思い浮かべがちであるが,ニーダムはこのような実用的で,生活に役立つ技術についても目配りを怠っていない。ニーダムの著作が魅力的なのはこういった点にもあると私には思える。

5.生物の習性を上手に利用した農業

食料生産の向上に関わるユニークな技術を紹介しよう。1556年,ポルトガル人のガスパール・ダ・クルスは1か月間中国に滞在し,帰国後に『中国誌』という見聞録を発表した。この中に,中国人の合理的な一面が垣間見える記述がある。

(要約)「中国人は,朝になるとアヒルに炊いた飯を少しだけ与えてから水田に放ち,晩になるまで放っておく。アヒルは一日中,水田の中を動き回り,雑草や昆虫などを残らず食べる。」

日本人は人手をかけて雑草を丹念に取ることを良しとする。一方,中国人は手間をかけず仕事を効率的にこなすことを考える。日本人のこの性分を証拠立てる記述がある。鎖国の江戸時代,長崎の出島に滞在していたオランダ人は定期的に江戸まで旅行し,将軍に謁見することが義務づけられていた。その道中で日本社会の実態を見聞した内容を彼らは江戸に参府した際の旅行日記に書き残した。有名なものとしてはケンペル,ツュンベリー(ツーンベルク),シーボルトのものがある。ツュンベリーが1775年に旅行した際に「日本の農地には雑草が一本も生えていない」と書き残した。これから日本人は農業を経済的活動として捉えていないということが分かる。丹念な草むしりは経済効率を度外視した園芸的活動といえるだろう。このような日本人の心情を私は「園芸的メンタリティー」と名付けたが,これは農業だけにとどまらず,日本の多くの分野に見られる。

次はテンプルの『図説 中国の科学と文明』に紹介されている「生物的病害虫防除」を紹介しよう。

ミカンの木を害虫から守るには,現在では世界中どこでも農薬を散布するが,中国人はキイロミカンアリ(柑蟻)という肉食性のアリを利用する方法を知っていた。このアリはミカンの木の複数の葉を縫い合わせて樹上に巣を作り住んでいる。そして,甘いミカンを食べにやってくる害虫を襲って殺してしまう。果樹園の持ち主はミカンの木々の間に竹を渡して,アリが移動できるようにし,アリがミカンの果樹園全体に行き渡るようにしている。この方法は紀元3世紀から行われていたといわれるが,中国人の観察力の高さと生物運用の妙の好例といえる。

6.ニーダムから学ぶべきこと

今回は科学者ジョセフ・ニーダムという個人に焦点を当てて,中国の科学技術だけでなく,広く世界の各文化圏の科学技術を探求する姿勢や方法論を紹介した。ニーダムを取り上げたのは次の三つの理由による。


A.ニーダムの疑問 ― なぜ,中国の科学技術は停滞したのか。

B.科学技術の東西の比較 ― ニーダムの数々の事例が示すように東西比較をすることで,基盤文化の特徴がよく分かる。

C.語学の重要性 ― 『中国の科学と文明』の大著の完成には,ニーダムが漢文を読めたことが大きな役割を果たした。


A.ニーダムの疑問の回答

ニーダムの疑問に対する回答を次の三つの観点から考えてみよう。

(1)社会制度的要因

ニーダムの出した結論は,中国の社会制度が中国の科学技術の発展を阻害したというものであった。一般的に士大夫,あるいは読書人とよばれる知的エリートたちが古典の暗記と詩文創作の能力が問われる科挙の合格だけに関心を持ち,科学技術にほとんど関心を向けなかったことが中国の科学技術停滞の最大の原因だと結論づけた。

その意識の根源にあるのが儒教の聖典の一つである『礼記』(らいき)の「徳成而上,芸成而下」(徳なりて上に,芸なりて下に)という思想だ。古典を読むと徳が身に備わり品性は上がるが,芸術や技術に執心すると品性は下がると考えた。この考えが2,000年にもわたって支配的であった社会制度は,科挙合格者を頂点とした文人優位のものであり,科学技術者の社会的地位は低いままに置かれた。

一方,欧米では社会的地位のある学者(例:カント,フンボルト)や,時には貴族(例:キャヴェンディッシュ,ゲーテ)までもが,科学技術の研究に取り組んでいる。欧米だけではなく,朱子学の影響が少なかった日本でも江戸時代には儒者や大名が本草学,和算など,さまざまな科学技術の研究に取り組んでいた。とりわけ蘭学は物珍しさも手伝って,蘭癖と呼ばれるような熱狂的な大名の素人学者(例:細川重賢,島津斉彬)をも生み出すに至った。朱子学が国の真髄までしみ込んだ中国や朝鮮では手を使う職は卑しく,儒者がするべきものではないという理念が根強く,そのため実用に関わる学問はごく一部の好事家の儒者を除き,知識階級から完全に無視された。こういう歴史的背景が,中国(および朝鮮)の科学技術の発展を阻害した。

(2)科学的探究心の欠如

ニーダムは中国の科学が発展しなかった理由を社会制度にあるとしたが,もう少し根源的な部分を探求してみると,「理論・原理を探求する西洋と,実用性のみを追求する中国」という性格的な差が見えてくる。

この点を指摘しているのが,薮内の弟子の山田慶児氏で『朱子の自然学』では次のように述べている。

「中国人は社会的有用性がない事柄についての知識を求めようとはしなかったし,原理を追及しなかった。社会的有用性のない事柄に対する分析には,不信と嫌悪を抱いた。そういった知的作業を『巧偽』あるいは『小智』と軽蔑した。このような気質から中国人は思想の大きな体系をつくることがなかった。」

この山田氏の指摘が最もよく分かる例が天文学だ。中国では古くから特異な天文現象・天体運行に並々ならぬ関心を示し,それが国家の衰亡に関わるはずとの迷信ともいえるような固定観念から事細かく熱心に記録した。『史記』の「天官書」以降,多くの史書には「天文志」の名で天体観察の記録が残されている。天子はそれらの記録に基づいて天の意図を読み取り政治を行う努力をしたようだ。

しかし,ギリシャと異なり,これらの記録から天体運動に関する理論は生まれてこなかった。ギリシャでは自然現象の背後にある自然法則は人間の知性で解き明かすことができるものであるとの信念があったが,中国では自然現象は天からの為政者に対する警告であり,自然法則は人知で解き明かすことのできないものと考えられた。結局,中国では天体の運行理論は顧みられず,天体運行を正確に予測するという計算技術方面が発達した。こういった考えが中国に近代科学が生まれなかった原因であると薮内氏は指摘する。

(3)実証的検証の不足

表1|中国の五行説 表1|中国の五行説

中国の文明というのは,紀元前の春秋戦国時代の段階ですでにその文明の大枠が完成していたと考えてよいだろう。その中でも,哲学・思想はいうまでもなく,医学・薬学の分野に大きな影響を及ぼしたのが陰陽五行説だ。ギリシャでも同じように自然界を支配する根源要素を考えた。最初の哲学者といわれるタレスは水を万物の根源要素だと唱え,ヘラクレイトスは火と唱えたが,アリストテレスは火風水土の四元素を根源要素だと唱えた。ただ,これらの要素は,いってみれば物理学的な狭い考察範囲に留まっていた。例えば,医学的には以前の第二章Part2に述べたように四種の体液論が唱えられたが,これは四元素とは密接な関係はないといえるだろう。

それに反し,中国では五行説は元素だけでなく,さまざまな物,例えば,方角,季節,身体の部分,家畜,穀物,色,惑星,なども五分類し,それらが互いに関連しているというように考えた。

実証性に欠けるこのような考えが,あたかも自然界の根本原理であるかのごとく信じられた結果,原理を探求するという科学的精神が醸成されなかったのが中国の科学にとっては悲劇であった。

B.科学技術の東西の比較

ニーダムが多くの実例を示しているように,科学技術の理解には,東西の比較が非常に重要だ。比較することで,それぞれの文化圏が持っている根本的な特徴が分かる。形而上学(一般的には哲学)のように抽象度が高いものよりも,実体を対象とする科学的研究や技術の方に民族性が一層濃く表れる。

例えば,ニーダムは磁気現象に関して,理論面や技術面だけでなく製造(航海用の磁針)に言及したあと,ロンドンの16世紀以降の磁気の偏角の周期変動の図を挙げている。ここでロンドンの事例を持ち出したのは,ニーダムは常に中国とヨーロッパの科学技術を比較する意識が根底にあったからで,確かに中国は磁気現象を解明するのはヨーロッパより早かったが,磁気現象の歴史的解明という点には全く無関心であったということを示している。

また,帆船に関する説明を見てみると,さすがに海洋王国のイギリスだけあって,ニーダムの記述にはヨーロッパは言うに及ばず,イスラムや東南アジアの船の構造についても多く説明がされている。この点に関して,科学史家・哲学者の坂本賢三氏は「(ニーダムは)中国以外の文化圏の科学技術についての言及も多い。とくに技術に関しては多い。(中略)(ニーダムのこのような言及は)日本人がヨーロッパの技術史について調べる際に問題点をはっきり示してくれるのでありがたい」と述べる。

ニーダムは比較をするときに,単に総括的,概念的に言うのではなく,細部に至るまで綿密に調べて言っている。これは,ニーダム個人の志向性というより,イギリスの(あるいは広く欧米の)探求精神の表れと言える。上智大学教授であった故・ピーター・ミルワード氏の『イギリスの学校生活』には次のような言葉が見える。

「一般的・抽象的な説明は,どれほど正確であろうともただ漠然とした印象しかのこらない。一番良いのはやはり具体的な細部を一つ一つ説明する方法である。」

この点について,科学史家の中岡哲郎氏は彼我の科学的探究精神の差をニーダムの書き方から納得したとして次のように述べる。

「(ニーダムの本は)注が非常に多い。はじめはうっとうしいと思っていたが,訳を進めるうちに注の文章が事実を語りだす。」

結局,具体的な事例の細部をこまかく検討していくのは,何も衒学的趣味ではなく,イギリスの教育における実証的な態度,科学的精神の表れであるということだ。

C.語学の重要性

ニーダムの事績を調べると彼の好奇心と探求の限りない熱意に驚嘆するが,一番感心するのは30代半ばから漢字と漢文を学習し,立派な学術的業績を残したことである。輝かしい実績を残せたのも,中国の膨大な史書をはじめとした書籍の漢文を自分で読むことができたからだ。改めて語学の重要性を思い知らされる。

漢文は現代日本の教育では必ずしも重視されているとはいえないが,私はある程度の漢文の文章なら自力で解釈できることは非常に重要だと考えている。東アジア(中国,朝鮮,日本)にとっての漢文はヨーロッパにとってのラテン語に相当する。つまり,ざっくり言えば,漢文は1900年まで東アジアの,そしてラテン語は1800年までの共通語でもあり,かつ,学術の記述言語であった。日本は古くから「かな」を使用してきたので,事情は多少異なるが,少なくとも中国と朝鮮に関しては1900年までの情報を得ようとすれば,漢文が読めないと不可能である。日本では江戸時代に一部の寺子屋でも漢文の素読を行っており,漢文が読める子どもも珍しくなかった。意味も分からないまま素読を数か月でも行うと漢文は自動的に読めるようになる。ぜひ,漢文読解力を身につけることで自分の眼で元資料を確認してほしい。

7.中国の科学技術の今後

図4|『新・中国人と日本人―ホンネの対話』 林思雲,金谷譲 図4|『新・中国人と日本人―ホンネの対話』 林思雲,金谷譲 出典: https://m.media-amazon.com/images/I/51WeFtvamRL._SX298_BO1,204,203,200_.jpg

『新・中国人と日本人―ホンネの対話』という本がある。中国人の林思雲と日本人の金谷譲の共著による『中国人と日本人―ホンネの対話』のシリーズは計3冊あるが,いずれも題名を裏切らない「ホンネの対話」が綴られている。一般的な中国関係の書からは窺いしれない中国人の本音が分かり,興味をそそる。

ここには,中国の伝統的な思考は技術立国をめざすには不適切であるとの考えが読み取れる文章がある。それは「こつこつと仕事をする」を重視する日本とは正反対の「策略で相手を出し抜く」ことを良しとする風潮があるからだ。例えば次のような指摘がある。

[「嘘偽り」で勝ちを得ようとする考えかたが,中国人の思考様式における最大の特徴,(中略)これは嘘偽りで出し抜くほうが力押しで勝つより頭がいいのだという見方であって,(中略)中国人にとっては嘘偽りに長けた人が”聡明人”(賢い人)と呼ばれます。]

[このような中国人の思考様式に基づけば,偽造もコピーも別に道徳的に悪いことではないからです。それどころか賞賛に値する”聡明”なる行為に属します。(中略)この中国式思考に従えば,日本のようなこつこつ汗水たらして地道に技術開発を行ったりすることなど,ばかの骨頂でしかありません。]

20代の学生のころから中国古典に親しんできた私は,この中国人思考がよく理解できる。つまり,中国を一言でいうと「詐」であり日本は「誠」である。日本語では「詐」は完全にネガティブなニュアンスであるが,林思雲が上で述べているように,中国では「戦略的」というポジティブなニュアンスも持つということだ。

現在の中国の科学技術は世界の最先端を行く観がするのは事実である。しかし,分野をみればIT,AI,ソフトウェア,電子産業,宇宙開発などいわば国家戦略に沿った産業は確かに世界の最先端であるが,既存の産業全体の質が高いというのではない。これを裏付けるように中国では,大学卒業者の四分の一がIT(情報技術)業界への就職を希望していると言われる。多くの中国人が日本製の紙おむつや炊飯器を買い求めることを考えると,優秀な技術者が手を汚さず,高給な仕事に集中することによって,中国の産業はいびつな発展を遂げているといえるのかもしれない。

参考文献

[121]
『朱子の自然学』山田慶児,岩波書店(1978)
『論語』の《述而編》に「孔子は怪,力,乱,神について議論しなかった」(子不語:怪,力,乱,神)という言葉があり,これから儒教は合理主義的だとの主張を読んだことがあった。私は,「ここでいう合理的とは一体何を意味するのだろうか」と疑問に思って調べようとしたが,儒教に関する書籍といえば,たいていは思想面について述べるばかりで,自然現象に対して具体的にどのような考えを持っていたのか知る手がかりになる本は長らく探しても見当たらなかった。ところが,偶然にも本書の存在を知り,長年の懸念を払拭してくれるものと期待して読んだ。
この本でいう自然学とは自然科学一般ではなく,宇宙論,天文学,気象学が主な対象であり,この分野における朱子(朱熹)の自然論が説明されている。いうまでもなく,中国における自然論とは古くからの陰陽五行説があるが,朱子はこれを理気論という形に再構成した。朱子は「天理」や「気」の存在を信じて疑わなかったことがこの本からもよく分かる。しかし思想面からではなく,科学的思考という面から考えると,このような非実証的なドグマと粗雑な論理に浸りきった自然観はとても合理的とはいえる代物ではない。そういえば,以前読んだセネカの『自然研究』(Naturales Quaestiones)も同じように非実証的で,妄想的な科学観が脈略もなく羅列されていたが,それに近い。
結局,このような非実証的理論が中国知識人の思想に深く根を張っていたために,中国科学の発展が阻害されたということをこの本から知ることができた。
[122]
『中国の科学』(世界の名著)薮内清,中央公論社(1979)
中国科学の粋である,数学,天文学,医学に関する古典的名著の原典の翻訳。冒頭に文庫本一冊分に相当するような薮内氏の長文の解説がある。本文の多くは天文や暦学に関する記述が占めている。ギリシャの項で『アルマゲスト』の原著の翻訳を挙げた折,数字だらけのテーブルが何ページも続いたことを紹介したが,中国の天文書もそれに劣らず,詳細な数字を伴った観察記録が何ページにもわたる。中国の天文学は天体運動理論を作らなかったが,正確な記録を大量に残した点では高く評価できる。
[123]
『中国の科学文明』薮内清,岩波新書(1970)
薮内氏の専門は中国天文学であるが,中国科学全般に関する第一人者であった。それだけでなく,『墨子』を翻訳しているように,中国思想に関しても見識豊かな人である。「西のニーダム,東の薮内」と並賞されたのも,故なしとしない。薮内氏は専門書だけでなく,一般人に対して中国科学技術に関する多くの啓発書を出版している。いずれの本も深い学識に裏打ちされた良書である。
[124]
『四川盆地における古代の塩業技術――考古遺跡や遺物を焦点として――』白九江,東北学院大学論集 歴史と文化号53,pp.181-208(2015)
http://id.nii.ac.jp/1204/00000530/
https://tohoku-gakuin.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=587&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1
[125]
『新・中国人と日本人―ホンネの対話』 林思雲,金谷譲,日中出版(2010)
本文参照。
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