2022年11月17日
デジタル技術の発達やビジネスのグローバル化,それに伴う企業活動の多国籍化を背景に,技術開発に携わるエンジニア・研究者にも分野を超えた幅広い視野と柔軟な思考が求められている。その中でも特に欠かせないのは,今日の社会のあり方から私たちの生活の隅々に至るまで,絶えずさまざまな変化をもたらし,大きな影響を与えている科学・技術なるものの本質を俯瞰的にとらえる視座であろう。
本連載では,リベラルアーツ研究家として多彩な啓発活動を展開している麻生川静男氏が,古代から近代へと至る世界の科学・技術史をひも解きながら,これからのイノベーションへの手がかりを探っていく。
本稿ではギリシャの科学的精神とは何かについて,前回紹介した三つの分野,数学,医学,博物学に絞って述べる。
図1|幾何学を知らざる者,入るべからず。(αγεωμέτρητος μηδείς εισίτω.) 出典: https://pratikteknikanaliz.com/2021/01/31/piyasanin-geometrisi-pitchfork-kanali/
通常ギリシャの数学といえばユークリッド幾何学を連想するが,本稿ではギリシャ数学が思想的に後世に及ぼした影響について説明する。というのは,ギリシャ数学の思想は科学史という観点だけでなく,ヨーロッパおよび現在のグローバル社会のものの考え方や価値観に大きく影響しているからだ。
さて,よく知られているように,プラトンはアカデメイアの入口に「幾何学を知らざる者,入るべからず」の看板を掲げた(図1参照)。
プラトンの偉大さともあいまって,数学が高等教育の中心科目の一つであるとの認識がヨーロッパでは定着した。E・T・ベルの『数学をつくった人びと』には多くの数学者が登場するが,かなり多くの人が哲学者でもある。有名なところでは,デカルト,パスカル,ライプニッツなどがいる。当時もそして現代も哲学と数学が知性の証と考えられている。とりわけ,この傾向は超学歴社会のフランスに強くみられる。日本でいう高等学校に相当するリセの最終学年では,哲学の授業が文系はもちろん理系でもかなり大きな比重を占める。少し古いがリセの哲学の教科書が『哲学教程』の名で邦訳された。これは理科系の高校生向けの書物であるが,邦訳で上下2段組,500ページにも及ぶ大冊である。哲学だけでなく,宗教,社会学,自然科学と非常に広範囲をカバーしている。項目の羅列のような日本の倫理社会の教科書とは雲泥の差である。
現在のフランスの最高学府といえば,グランドゼコールであるが,そこに進学するための準備学校では数学が徹底的に鍛えられるという。ギリシャ文明の数学(幾何学)重視の伝統が今なお続いている。
ところで,幾何学を重視したプラトンの師のソクラテスは,数学は実学のレベルでよいと考えていたようだ。クセノフォンの『ソークラテースの思い出』(巻4-7)によると,ソクラテスは土地を売買する時や分割する時に必要なので幾何学は学ぶべきだが,それ以上に熱心に学ぶのは他のもっと重要な仕事をなおざりにするので良くない,と数学探究には否定的な見解を持っていたと言われる。
プラトンは,ソクラテスの考えをベースとして独自のイデア論の哲学を展開したが,元来,永続的で静的で完全なものに憧れたプラトンは現実の事物を軽蔑し,抽象的な理念を重視した。プラトンの考えでは,事物の本質を表すものがイデアであり,現実世界(感覚世界)はイデアの粗雑なコピーにすぎない。知性ある人間は,現実世界から離脱してイデアの世界で思考すべきと主張した。ゆえに,プラトンの考える幾何学は現実の事物を対象としているのではなく,観念の世界の事物を対象としているのだ。例えば,円に接線を引いた場合,実際の図では幾つもの点で接するが,観念の世界では,円は接線にただ一点でのみ接する。つまり,現実の世界には接線は存在せず,いわばイデアの世界にのみ存在するものである。プラトンのこのような考えをスティーヴン・ワインバーグは『科学の発見』で「知的スノビズム」と非難した。夏目漱石流の表現を使うなら「高等遊民の道楽」とでもなろうか。「知的スノビズム」はプラトンに始まり,多くの文化人の心を捉えた。紀元1世紀のアレクサンドリアの哲学者フィロンは「知性によって感知される物事は目に見える物事よりも常に優れている」と述べた。つまり,抽象性が高いものほどイデアの世界に近いと考え,幾何学を科学の中でも最高のものと位置づけた。その反対に,現実の事物を対象とする技術・手作業を賤しんだ。
第2章Part1ではギリシャ人は「計算という実際的な作業」を軽蔑したと書いたが,これはギリシャ人の性格による問題だけでなく,正当な理由がある。というのも,現在の我々が,計算することに何ら困難を感じないのは,数字や,位取り,計算記号(×,÷,+,√,未知数,微分記号,積分記号)などが整備されているからだ。しかし,ギリシャにおいては漢数字のように,各桁ごとに文字が割り振られていた。これだけでも計算に苦労するのに,問題は小数点以下の計算だ。小数点以下はすべて分数で表した。それも, 2 3 以外はすべて分子が1の分数だ。これはもともとエジプトの流儀でギリシャも踏襲した。アルキメデスはこのような厄介な数表現を使って,πの値を 3 10 71 より大きく,3 1 7 より小さいと求めたのだ。円周率の計算は,古代のギリシャだけでなく,古代のインドや中国でも理論的に行われているが,いずれも円に内接(外接)した多角形の辺を計算する方法である。通常,科学史というと画期的な大発見の説明が多いが,ここで述べた数字の表記や演算記号,あるいは近代の化学の例では元素記号や化合物の表記のような地味な部分の改善が科学の進歩に大きく貢献している。
ギリシャ人は,現象の表面だけではなく,その根源を突き止めていこうとする情熱の強さが特徴だ。また,アリストテレスに顕著であるが,自然現象に隠された意図(aetiology)があると考え,いろいろと推察する。例えば,ピタゴラスとその一派は事物の成因要素が数であると考えた。さらに音の高低や音同士の関係を数値化することで,倍音や和音の性質を見極めることに成功した。つまり,どの音の組み合わせが心地よい(和音)のかを人間の感覚というアナログ情報ではなく,数というデジタル情報で表現し「音響理論」を構築した。この音響理論を宇宙にまで拡張して,地上では物が動くと必ず音が発生するのだから,それよりもずっと大きい太陽,月,星たちがとてつもない速度で運動する宇宙には,音が鳴り響いているはずだと考えた。さらに,人間は生まれつきこの音に取り囲まれているので,気づかないのだという理屈をつけた。アリストテレスは『天体論』でバカな話だと一笑に付したが,イアンブリコスの『ピュタゴラス伝』によると「ただ一人,ピタゴラスだけは宇宙で奏でられている音楽を鑑賞することができた」とある。
ともかくも,ピタゴラスによって初めて自然現象は数値化されうるということが示され,結果的にピタゴラスの思想を引き継いで発展させたギリシャ数学が近代科学の礎を作った。また,幾何学もギリシャ人によって高度に発達したが,その成果はヘレニズム・ローマ時代の天文学にみることができる。
図2|ヒポクラテスの誓い 出典: https://schoolhistory.co.uk/early-modern/medicine/hippocrates/
『バビロニアの科学』という本がある。メソポタミアの医学,占星術,数学は現代的観点からすれば,かなりの部分が科学というより呪術,あるいは魔術という方がふさわしい内容だ。病気や天災の原因が分からず,厄災に翻弄されていた古代人は呪術に助けを求めた。とりわけ命を預かる医者は当時は胡散臭い呪術をつかい,人の弱みにつけ込んで,ゆすりやたかりをする詐欺師の一種だと思われていて,あまり評価が高くなかった。当時の人々のこういった行動を考えると,ギリシャ人が病理を宗教と魔術から切り離して理性的に分析しようとしたことは画期的と言える。ヒポクラテスはそういった理性的な分析を医療に取り入れただけでなく,医術の中に哲学も取り入れて,医者の倫理観を確立した。現在も大学の医学部では読まれると言われるヒポクラテスの誓いには「いくら頼まれても,人を殺す薬を与えない」とか「患者の秘密を守る」と書かれている(図2参照)。
ソクラテスとほぼ同時代に生きたヒポクラテスはギリシャ各地を巡り,臨床医療の実際を弟子たちに伝えた。紀元前3世紀ごろに,アレクサンドリアの学者たちがヒポクラテス派の医学を編纂したのがヒポクラテス全集だ。従来,病気は神の罰だと信じられていたが,ヒポクラテスは病気は魔術的なものではなく,自然現象だとして科学的に観察して治療方法を探究した。さらに,薬で対応できない患者に対しては,食事療法や体操やマッサージを施した。病気の治療には単に体だけでなく,心のケアも必要だと考えた点などは近代科学にも通じる。ヒポクラテスの『古い医術について』を読むと驚くのは,病気の症状が非常に克明に記録されていることだ。専門家によると,記録から死因が特定できるほど正確だそうだ。ただ,ヒポクラテスはすべての健康な人の体内には四種の体液(血液,粘液,黄胆汁,黒胆汁)が,その人の性質に応じて混ざっているものであり,病気になるのはこの調和的な混合が乱れるためだと考えたが,現代医学ではこの考えは否定されている。もっとも,現代でもよく使われるメランコリックという単語は,この思想の残滓といえよう。四種の体液論では,黒胆汁(melancholy,black bile)は人を憂鬱な性格にさせるとの考えから「黒胆汁(メランコリー)の多い」という意味をもつメランコリックという単語ができて広く定着した。
ヒポクラテスが古代からずっと尊重されてきたのは,ヒポクラテス全集の写本の伝来からも分かる。というのは,ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』には数多くの哲学者(自然科学者も含む)の名前が挙がり,多くの著作が書かれたことが分かるが,ソクラテス以前の哲学者の著作で,現在までまともに残っているのはプラトンとこのヒポクラテスだけと言われる。改めて,ヒポクラテスの医学が時代を超越した内容であることに驚く。
図3|ウニの口―アリストテレスの提灯 出典: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Echinoidea_-_Aristotle%27s_lantern.jpg
プラトンとアリストテレスは哲学の二大巨頭であり,思想的には理想主義と現実主義と対照的で,科学に関しても対極的な考えを持っている。プラトンにとって数学は科学の頂点に位置するが,アリストテレスにとっては数学は単なる手段にすぎない。アリストテレスは観念的なものではなく,事物に即したもの,具体的には動物や植物に興味を持った。哲学同様,科学においてもこの両派は潜在的に現代に至るまでヨーロッパ科学の二つの大きな流れとなっている。
第1章Part2にも書いたように,私はドイツ留学を契機としてプラトンやセネカに魅入られた。学生時代から社会人になりたてのころはドイツ語の維持も兼ねて,ギリシャ・ローマの古典をレクラム文庫で読んだ。プラトン,ヘロドトス,プルターク,セネカ,キケロ,タキトゥス,スエトニウスなどは,いずれも名人芸のエンターテイナーで読み手を飽きさせない。しかし,アリストテレスの文章は乾いた学術的な素っ気ない文章で,平坦な記述が淡々と続く。辛抱して何冊かは読んだものの『二コマコス倫理』以外はまったく頭に残らず,それ以降,アリストテレスには「敬して遠ざく」の態度をとっていた。(参照:『教養を極める読書術』序章)
しかし,その後ふとした折にアリストテレスの『動物誌』(岩波文庫)を目にした。「また退屈な話の連続か」と乗り気ではなかったが,少し読んでいくうちに,細かな観察描写の連続に驚いた。例えば,鶏の卵の孵化では,血管や心臓が作られる過程を事細かく記している。当時はルーペなどの器具がなかったにもかかわらず,細部まで観察し,その意味を理解している。また,海の動植物に関しては,漁師の経験から数多くの結論を導いている。例えば,動物の中では魚の聴覚は一番鋭敏だという。さらに魚は嗅覚も優れているとして,ちょっとした臭いで魚が近寄ってこないケースなどを紹介している。アリストテレスの『動物誌』には蚊やウニ,イソギンチャクの類の小動物まで登場する。とりわけ,ウニの口(咀嚼器)の構造を解明したので,現在でもウニの口は「アリストテレスの提灯」(Aristotle’s lantern)と呼ばれている(図3参照)。
どの本にあったか思い出せないが,アリストテレスは「観察の伴わない自然科学的な理論は虚しい」と言ったそうだ。この『動物誌』を読むと,その意味がよく分かる。とにかく,アリストテレスは自分が関心を持ったところは徹底的に観察し,考究している。しかし,天体,気象,物理学などに関する彼の理論には観察の欠如があるのは覆い隠せない。冒頭,ギリシャ科学の3大分野の一つとしてアリストテレスが創始した「博物学」を挙げたが,彼自身の熱心な観察もさることながら,彼は自分の意見を述べる前に,どの分野においても必ず先人の意見を徹底的に調査し,それに対する批評を掲げている。おかげで,我々は先人の貴重な意見を知ることができると同時に,知識の奥行きが格段に広がる。このような研究態度がその後ルネッサンス以降のヨーロッパの博物学を特徴づける。ただ,残念なことに『動物誌』は中世ヨーロッパでは忘れさられ,アリストテレスといえば「論理学」の学者としてしか認識されなかった。