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Experts' Insights:社会イノベーションをめぐる考察ドラッカーと日本人「テクノロジストの条件」に学ぶ

2022年9月15日

井坂 康志

井坂 康志

  • ものつくり大学教養教育センター教授・ドラッカー学会共同代表
  • 1972年埼玉県加須市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業,東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(商学)。現在,ものつくり大学教養教育センター教授。ドラッカー学会共同代表,石橋湛山記念財団研究員等を兼務。著書に『P・F・ドラッカー―マネジメント思想の源流と展望』(文眞堂,経営学史学会奨励賞受賞)等多数。

世界中のビジネスパーソンをはじめ,多くの人々に今なお注目され続けているピーター・F・ドラッカーは,「マネジメント」などの経営理論の提唱者として,日本でも人気が高い。ドラッカーは生前10回以上も日本を訪れたことがあり,社会や若者を熱心に観察し,日本に関心を寄せていたことでも知られる。

ものつくり大学教養教育センター教授でありドラッカー学会共同代表の井坂康志氏に,ドラッカーの人間観,日本への関心や評価の先に垣間見える,日本ならではの強みなどについて語ってもらった。

目次

プレイ・ルーム

コロナ禍前の2019年,千葉県我孫子市にある株式会社日立アカデミーの研修所にお邪魔する機会をいただきました。その日の晩,日立アカデミーの方が,「プレイ・ルーム」があるので見てみませんかと誘ってくださったのです。「プレイ・ルーム」と聞いて,私は娯楽施設かと思い,カラオケとか卓球台のスペースを勝手に想像してしまったのですが,実際はまったく違っていました。

「プレイ」とは「play」ではなくて,「pray」だったからです。お祈りですね。

日立グループのようなグローバル企業は,世界各地からたくさんの人が研修目的で来日します。国や地域だけでなく,宗教や民族も多様です。もちろんイスラム教徒の方もたくさんいます。

イスラム教の方々にとって祈ることは生きることです。その方々のために専用スペースが丁寧にしつらえてあったのです。入室の際にはシャワーで足を清め,メッカの方角がすぐ分かるように印がきちんとついていて,カーペットの上で心穏やかにお祈りできるようになっている。しかも,風光明媚な湖畔の雰囲気も相まって,日本的な清明な空気が支配している。場があたたかくて,澄んでいるのです。

プレイ・ルームを目にしたとき,いささか遅ればせながら,グローバル化というものの本質に触れた気がしました。頭で分かった気にはなっていたのですが,百聞は一見に如かずとはこのことです。

コロナ禍に伴うさまざまな変化の中で,SDGs(Sustainable Development Goals)や働き方などが多様化のトピックの中で語られています。人こそ資源というフレーズもよく耳にします。

けれども,ある程度以上の年齢の方であればおそらくピンとくると思うのですが,それらは比較的最近まで一種の美しいお題目だったわけです。人が自分の考えで行動したり,それぞれの個性や強みを生かすようなことを勝手にされたら,世の中は回らなくなってしまうと信じられていた。ルールや規則でがんじがらめにしなければ,人は動いてくれないと思われていた。つい昨日の話です。

けれども,プレイ・ルームには,多様化をむしろ日本の強みにできることがはっきりと表現されていたのです。

今も日本で人気のあるドラッカー

ピーター・F・ドラッカーというとマネジメントとの関係で名前は誰でも知っている,あるいは知った気になっている。しかし,実像というのはなかなか分かりにくい人物です。私も20年以上研究していながら,正直よく分からないところが多い。

そこへきてごく最近のことですが,一つの補助線を発見した気がしました。

「なぜ日本でドラッカーは人気があるのか」という補助線です。

実はこの補助線には裏側に対を成すもう一つの補助線が存在しています。それは,「なぜドラッカーは日本にかくも関心を寄せたのか」という補助線です。

ドラッカーは生前10回以上日本を訪問しています。最初は1959年,日本事務能率協会の熱心な招請に応じる形で実現しました。

ドラッカーはこのとき日本の社会,特に若者を熱心に観察したようです。若者は未来そのものですから。そしてアメリカに戻ってから,日本人についての論文を数本発表しています。日本の企業人,産業人ばかりでなく,現場の人々のひたむきな姿にいたく感銘を受け,以来,ソニーやオムロンなどの創業者との心温まる友情も育まれました。

おそらくそのような血の通った交際の中で,彼は渋沢栄一の名を誰かから聞いて知ったのだと思います。彼はもともと日本美術にも並々ならぬ関心を寄せた人でしたから,その探求の中で,日本の近代史,特に明治維新を深く学び始め,明治新政府に入って国家経済の基盤整備を一手に引き受けた渋沢の存在が燦然と輝いて見えたに違いありません。

こんな風に見ていくと,日本人がドラッカーの語りに熱心に耳を傾けたとともに,ドラッカーの方も日本に強い関心を寄せた理由の一端が何となく分かってくるのです。

なぜ渋沢を尊敬したか

ドラッカーの日本への評価を象徴する存在として,実践面と精神面をともに具備した人物が渋沢栄一でした。代表的著作のタイトル『論語と算盤』は,知行二つの世界の合一を見事に表現していると思います。

ドラッカーは初来日以後の著作において高頻度で日本について言及するようになるのですが,それと歩調を合わせるように,渋沢を評価する記述もしばしば見られるようになってきます。主著『マネジメント―課題,責任,実践』で次のように述べています。

「プロフェッショナルとしてのマネジメントの必要性を世界で最初に理解したのが渋沢だった。明治における日本の経済的な躍進は,渋沢の経営思想と行動力によるところが大きかった」

マネジメントの必要性を「世界で最初に理解した」とはいささか大仰に感じられなくもありませんが,彼を世界的先覚者の一人と目していたのは間違いないでしょう。

彼の渋沢理解は決して浅薄なものでありません。その証拠に,著作に登場する渋沢への評価は,引用件数が少ないとはいえ,極めて正確であることに驚かされます。

とりわけ『断絶の時代』で見られる次の記述は,渋沢の本質を見事に明らかにしていると思います。

「岩崎弥太郎と渋澤栄一の名は,日本の外では,わずかの日本研究家が知るだけである。彼らの偉業は,ロスチャイルド,モーガン,クルップ,ロックフェラーを凌ぐ。岩崎は,日本最大,世界最大級の企業集団,三菱をつくった。渋澤は,90年の生涯において,600以上の会社をつくった。この二人が,当時の製造業と過半をつくった。彼ら二人ほど,大きな存在は他の国にはなかった。(略)この二人が,岩崎が51歳で早逝するまでの20年間,公の場で論じあった。岩崎は利益を説いた。渋澤は人材を説いた」

いかがでしょうか。最後の一文「岩崎は利益を説いた。渋澤は人材を説いた」にも,ドラッカーがどちらにシンパシーを寄せたかがはっきりしていますね。

このような渋沢観はともすれば,日本への強い期待ともオーバーラップしてきます。とりわけ,渋沢を評価するポイントとして重要なのは,偉大な実績ばかりでなく,その精神,すなわち経営を責任職,プロフェッショナリズムから捉えていた点にあります。

プロフェッショナルの「プロフェス」は,神への信仰告白を意味します。信仰というのは,どこまでも個のものです。誰かに強いられることではなく,粛々と行動してその責任は自ら引き受ける。『論語と算盤』の渋沢は実に凛としたプロフェッショナルの鑑と映ったのも無理はありません。

むろん企業は財・サービスを生産・流通させ,利益を上げます。しかし,社会の中心的な組織として,文明の継続と発展に資すべき理念的,精神的存在として見る。これなどは,今なおはっと胸を突かれる問題提起をはらんでいると思います。

ドラッカーは晩年まで,渋沢を明治の偉人(The Great Men of Meiji)として特筆しています。

日本美術の専門家

先にも少し述べましたが,ドラッカーは日本美術の専門家としても知られています。

1959年の初来日時に2点の日本画を購入して以来,コレクション活動を熱心に行っています。その最充実期は1960年〜1970年代でしたが,活動は1980年代半ばまで続いていました。

雪舟や雪村,尾形光琳など誰もが知る作者による作品がある一方,彼独特の審美眼で選ばれた作品も多く存在しています。千葉市美術館で展覧会を企画した学芸員の松尾知子氏は次のように指摘しています。

「ドラッカー・コレクションには,他には作例がほとんど見いだせない,つまりここでしかその人の作品を見ることができないという,逸伝の室町水墨画家の作品が何点も含まれる。(略)薄暗いような画面は今時の目には決して華やかに見えないが,しかし何か生命感をみなぎらせ,忘れがたい存在感を放っている」

ドラッカーが画家の有名無名でなく,自らの審美眼に忠実に購入作品を選定していたことが分かる評価でしょう。実際に,来館者の感想としては,「知らない画家ばかりで教えられた」というものも多かったといいます。

全体の3分の1を占めるのが文人画でした。「文人画と共にいれば,それだけ自分自身について学ぶことになる」と述べるほどに,作品に対して人格的に向き合っていたことが窺えます。神仏,歌仙,禅宗祖師など精神的存在を主題とした作品も多く,それらは特に人生後半にコレクションされていました。

とはいっても,収集自体が目的ではなく,むしろほぼすべてが掛軸であったことから,身近に掛けて日常生活の一部としてカジュアルに鑑賞する用途もあったようです。実際に書斎に掛け,その凝視を通して,心の重心を整え,最高の武器ともいうべき目を養っていたといいます。

知識とは人間の中にある

彼がマネジメントとともに芸術の卓越した愛好者であった事実は,鋭い暗示をはらんでいると見てよいと思います。

それは,彼の人間観にも表れています。

ドラッカーが提起したコンセプトに知識社会がありますが,これも現在ではよく知られています。

このことは,彼が次なる社会の主人公を知識ある人間に置いていた表れでもあります。

ただし,彼の言う知識ある人とは,古典的な表現としての知識人とは少しばかり意味が違います。古典的な知識人というと,医者,弁護士,大学教授などの高度な専門家が想起されますが,ドラッカーの言う知識ある人とは,一見するとありふれた人々です。けれども,彼らは一見ありふれた対象に対して,ありふれていないやり方で知識を適用し,卓越した成果を上げます。仮に農業や漁業,物流,小売りなどの伝統的な分野に身を置いていたとしても,知識という手綱を握っている。たとえばUberやAmazon,Googleなども,基本ニーズ自体は昔から存在しているものでありながら,知識の華麗な手綱さばきで,計り知れない卓越性を実現しています。

知識労働者とは,日本人が好きな言葉で言い換えれば,「現場」を持つ知識人です。ドラッカーはそのような人たちを「テクノロジスト」とも呼びました。今は世の中を見渡せば,テクノロジストに満ちています。テクノロジストが,現代の知識社会の担い手になったという事実を晩年のドラッカーは盛んに指摘していました。

テクノロジストにとってもそうですが,知識というのは究極的には人間が持っているものです。PCやスマホの中にあるのはどんなに高度であっても情報です。それを生産的な知識に変換できるのは人間しかいない。そうであるならば,持っている知識をどう人間社会のために用いるかが課題となってきます。その展開がイノベーションということになります。知識とは精神的な資源ですから,物的な資源と違って,無限の可能性と適用範囲を持っているのです。

それともう一つ,知識とは責任です。これはドラッカーが常々指摘していた急所と言っていい論点です。医師には医師の,弁護士には弁護士の,教師には教師の責任があります。彼らは知識の行使に伴う権限とともに責任を付与されている。その責任には倫理観ももちろん含まれますし,時には美意識さえ含まれる。

プロである以上,人から言われてやるのではない。どこまでも自己の責任の中で知識を使う。会社の上司のためでもない。在宅勤務が増えて,上司の目が届かないところで働いていても,上司が見ていようが見ていなかろうが,プロとしてベストを尽くさなければならない。時には上司がやれといっても,それが明らかに世の中を害するのなら,自身の判断で「ノー」と言えなければならない。

知識ある人の責任です。

ドラッカー最後の言葉

2005年5月7日,筆者は米国クレアモントの自宅を訪ね,最晩年のドラッカーにインタビューした。 2005年5月7日,筆者は米国クレアモントの自宅を訪ね,最晩年のドラッカーにインタビューした。

日本にはドラッカーを研究したり,その教えを実践したりする方はたくさんおられます。その多くの方々と私が違う点は,私はドラッカーに直接会っていることです。おそらく私くらいの年代でドラッカーと会った人は相当に珍しいと思います。

ドラッカーの最晩年の2005年5月7日,クレアモントの自宅で,私は彼にインタビューする機会に恵まれました。これは今だから言えることですが,本当に奇跡的だったのです。彼が残されたわずかな時間を無理して割いてくれたことに,時が経つほどに感謝の念は強まってきます。その半年後にドラッカーは亡くなりました。

このインタビューは「テクノロジストの条件」を主題に行われました。語られた一節を引用してみたいと思います。

「日本は明治の開国でも,西洋の日本化に成功した。第二次世界大戦の後も,日本化した復興に成功した。それらはすべて日本の西洋化ではなく『西洋の日本化』だった」(2005年5月7日インタビューより)

これを見る限り,ドラッカーは日本を一つのひな型と見なしていたことがよく分かるのです。渋沢栄一をはじめとする明治の開拓者たち,そして大戦後の復興を担った企業家。彼らの行動に,日本の強みを世界のためにどう用いるべきかのヒントがある。

西洋を日本化したなどというと,私たちはなぜかおおげさに感じて,こそばゆくなる。ですが,それが日本文化というものを研究したドラッカーの最終的な結論だったことは厳粛に受け止めなければならないでしょう。

この段で行けば,明治の先人たちが「西洋の日本化」に成功したように,今度は「グローバル世界の日本化」を行う時期に来ていると感じます。ちょうど冒頭で紹介した日立アカデミーの「プレイ・ルーム」のように,グローバルで多様性のある世界を日本的な剛毅さと繊細さをもって包み込んでいく。

この視点はありそうでなかったと思う。私たちは,日常にまどろんでいる文化や特質にもっともっと驚いてよいのです。「ありふれたもの」の中に眠る「ありふれていないもの」を触知する知性が今求められている。

現代もドラッカーから学ぶところは尽きないように思います。

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