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「日立評論」が創刊されたのは、日立製作所創業から8年目の1918年1月。技術開発を取りまとめていた馬場粂夫博士が、小平浪平創業社長に直訴したことで実現したと言われている。当時の文献からは、自主技術を開発するとともにその成果を論文として公表し、日本産業界の技術水準の向上をめざしていたことがうかがわれる。以後、日立グループは時代を追うごとに事業領域を拡大させ、人々の暮らしを支える社会基盤を提供するとともに最先端分野で世界をリードする研究開発を推進してきた。ここでは、時代を反映しながら変遷してきた「日立評論」の誌面から技術の歩みを振り返り、脈々と流れる「日立の研究精神」を読み解いていきたい。

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1910

1920

1930

1940

1950

1960

1970

1980

1990

2000

2000

1910 タングステン電球実用化

1910 誘導電動機を完成
久原鉱業所日立鉱山付属の
修理工場として発足

1911 2kVA変圧器を完成

1912 初の鉄道の電化を実施
1912 水力発電の出力が火力を超える

1914 東京駅開業

1914 交流電流計・電圧計の
製作を開始

1915 一般相対性理論発表

191610,000馬力水車を完成
1916扇風機の製作を開始

1920 ラジオ定期放送開始
1920 第1回国勢調査実施

1920 日立・亀戸の両工場を擁し,
株式会社日立製作所として独立

1921 東京天文台設置

1921 日本汽船株式会社より
笠戸造船所を譲受,笠戸工場増設

1923 関東大震災

1924 ED15形電気機関車を完成
(大型の国産第1号)

1925 大正から昭和へ
1925 ラジオ放送開始(JOAK)

1925 京浜電力奈川渡発電所納め
1万kVA水車発電機完成

1926 扇風機量産に成功
30台を米国に初輸出

1927 大西洋横断無着陸飛行
1927 上野・浅草間地下鉄開通
1927 金融恐慌

1930 柱上変圧器の
製作を開始

1930冥王星発見

193110,000A水電解槽を完成

1931 電子顕微鏡製作
1931羽田空港開港

1932エレベーターの製作を開始
電気冷蔵庫の第1号を完成

193323,600馬力
イルグナセットを完成

1934 室戸台風上陸
1934湯川秀樹が中間子論を発表

1937国産工業株式会社を吸収合併
戸塚工場など7工場増設

1939多賀工場新設、日立工場
より日立研究所独立

1939半導体ダイオード発明

1942中央研究所新設

194385,000kWフランシス水車,
70,000kVA交流発電機を完成

1945国際連合成立

1946 電子計算機ENIAC完成
1946日本国憲法公布

1947 独占禁止法施行
1947労働基準法施行

1948トランジスタ発明

1949U05パワーショベル
第1号機を完成

1949ドッジライン公表

1950初の商用コンピュータ
UNIVAC-1完成

195221,000kW
2段タービンポンプを完成

1952 電源開発設立
1952IMF加盟

1953純低圧式300m3/h空気分離装置を完成
195355,000kW水素冷却式タービンを完成

1953民間テレビ放送開始

1954大型ストリップミル
国産第1号機を完成

1954ソ連で世界初の原子力発電を開始
1954 「神武景気」
三種の神器

195510万kWフランシス水車、
93,000kVA交流発電機を完成

1955GATT加盟

1956DF90形ディーゼル
電気機関車を完成(国産初)

19586石トランジスタ超小型ポータブルラジオを完成
1958ブリュッセル万国博でHS-6型電子顕微鏡・HM-3型電子顕微鏡がグランプリを受賞

1958IC開発
1958東京タワー完成
白黒テレビ普及

1959HITAC301電子計算機
(トランジスタ使用)を完成

1960キュービックタイプ
冷蔵庫を開発

1960OPEC発足

1961全自動洗濯機を開発
1961 日立実験用原子炉を完成

1961初の有人宇宙飛行成功

1962 発熱自硬性鋳型を開発

3Cの時代

1963 265,000kW衝動再熱式
クロスコンパウンド式
タービンを完成

1963米通信衛星の
日米間テレビ中継成功

1964東海道新幹線用電車を製作
1964国鉄用座席予約システムを開発
1964羽田・浜松町間用モノレールを完成

1964東京オリンピック開幕
1964東海道新幹線開通
1964インテルサット誕生

1965HITAC5020システムを完成
1965希土類蛍光体使用
19型90度偏向カラーブラウン管
を完成

1966シリコントランジスタの
LTP処理法を開発

1967ドライタイプ
ルームエアコンを開発 

1967公害対策基本法公布
1967貿易自由化促進

1968超高速論理ハイブリッドLSIを開発
1968 制御用電子計算機HIDIC100を完成 
1968300m/min超高層ビル用
エレベーターを完成

1969銀行オンラインシステムを完成
1969 オールトランジスタカラーテレビを
開発・量産化 

1969アポロ11号月面着陸成功

1970新幹線運転管理システム
(COMTRAC)を開発

1970国産人工衛星「おおすみ」打ち上げ
1970日本万国博覧会開催

1971大容量(1Gバイト)
ファイル記憶装置を完成

1971ドルショック

1972札幌オリンピック開催

1973新型撮像管サチコンを開発

1973OPEC6カ国原油価格引き上げ
1973第一次石油危機

1974無収差凹面回折格子用数値制御
ルーリングエンジンを開発

197446万kW国産第一号
原子力発電設備を完成

197446万kW国産第一号
原子力発電設備を完成 

1974大規模情報システムを担った
大型コンピュータMシリーズ

1975 高性能伝熱面(サーモエクセル)を開発
1975 日立新型圧延機HC-MILLを開発
1975 Mシリーズ大型コンピュータシステムを完成

1975 沖縄国際海洋博覧会開催

1976世界初の光通信システム
実証実験に成功

1977 高速アミノ酸分析計(837型)を開発
1977 新型転換炉原型炉「ふげん」の建設を完成

1977 バイキング・ボイジャー打上げ

1978高分解能電界放射型電子顕微鏡
(分解能世界記録)を開発

1978固体撮像素子小型カラーカメラの試作

1978固体撮像素子小型カラーカメラの試作

1978成田空港開港
1978日中平和友好条約調印
VTR普及始まる

1980北海道・本州間電力連系用
300MW交直交換設備の完成

1980天然痘根絶宣言

1981スペース・シャトル打ち上げ成功
1981レーガノミックス政策
貿易摩擦拡大

1982 電子線ホログラフィーによる
ミクロ領域の磁場観察を
世界で始めて実現

1982東北・上越新幹線開通
1982CDプレイヤー発売

1983スクロール圧縮機搭載
空調機の開発

1984改良標準型BWR 国産第一号機の完成
1984256kビットDRAMの量産化

1985臨界プラズマ試験装置JT-60の完成
1985 超高精細カラー表示 CAD/CAEシステムの開発

1985プラザ合意
1985 つくば科学万博開催
円高不況

1986HITAC M-68Xシリーズの完成

1986バブル景気

1985臨界プラズマ試験装置JT-60の完成
1985 超高精細カラー表示
CAD/CAEシステムの開発

1987国鉄民営化

19884脚動歩行ロボットの開発

1989世界最高速の
超電導コンピュータの開発

1989超電導MRイメージング装置
の開発

1990 超大型汎用コンピュータ
「HITAC M-880プロセッサ」

1990高精細TFTカラー液晶ディスプレイ

1990高精細TFTカラー液晶ディスプレイ

1990東西ドイツ統一

1991 世界最大容量(狭軌道)
インバータ式電気機関車の開発


1991アバランシェ増倍型撮像管「ハーピコン」

1991アバランシェ増倍撮像管「ハーピコン」

1991ハイビジョン試験放送開始

1992 基幹系500kV変電所システムの完成
1992走査トンネル顕微鏡を用いた原子操作・
原子配列状態観察基本技術

1992 地球サミット開催

1993高速新幹線300系
1993単一電子メモリの室温動作に世界で
初めて成功

1993キャピラリーアレイDNAシーケンサ

1993EU市場統合スタート
1993環境基本法成立

1994日立オリジナル32ビットRISC
SHマイコンシリーズ

1994クリーンATMの開発
19941GビットDRAMの試作に成功

1995超広視野角スーパーTFT液晶ディスプレイ
199510Gビット/s光通信装置
1995暗号アルゴリズム「MULTI 2」

1995WTO発足
1995PL法成立
1995携帯電話・PHS普及開始
インターネットの時代へ

19974.7GバイトDVD-RAM基本技術の開発
1997 心臓疾患検査用心磁計測技術
1997ガン治療用小型陽子線加速器

1997 アジア通貨危機
インターネットビジネス本格化

1998320Gビット/s光波長多重伝送システム
1998 PAM制御方式冷蔵庫・エアコン

1998 長野オリンピック開催

1999 ユーロ発行
ユビキタス情報社会

20001インチ平方あたり52.5Gビットの
垂直磁気記録方式

2000分解能49.8ピコメートルの
ホログラフィー電子顕微鏡

2000 BSデジタル放送開始

2001 中国WTO加盟

2002世界最小0.3ミリ角の
非接触ICチップ

2002小型遺伝子多型解析装置

2002 日本経済団体連合会発足

2003小型・高速・高精度の指静脈認証技術
2003光トポグラフィによる
新生児脳機能計測に成功

2004世界最小容積のセンサネット用端末
2004高温無鉛はんだペースト

2004 EU25か国に拡大

2005 人と対話して行動する
2輪走行ロボット[EMIEW]

2005 日本国際博覧会(愛・地球博)開催

2006 垂直磁気記録方式を
採用した2.5型HDD量産化

2007 世界金融危機

2008高速ディーゼルハイブリッド鉄道車両向け
リチウムイオンバッテリーシステム技術

2008レアメタルを用いない高効率の小型モータ技術

2008 北京オリンピック開催

2010データセンターの省電力化技術を開発
2010レアアースのリサイクル技術を開発
2010スピン流の制御・観測に成功

2011 スポットスキャニング方式の
陽子線がん治療システム(PBT)が
国内製造認可

2011 広域ネットワーク(WAN)の高速化技術開発

2012 レアアースを用いない産業用11kW
高効率永久磁石同期モーターを開発

2012 再生医療向けヒト細胞シート
自動培養装置を試作

2013 自律走行する1人乗りの
移動支援ロボット「ROPITS」を開発
2013 生体情報を用いた電子署名技術を開発
2013 高線量率環境対応のガンマカメラを開発

2013生体情報を用いた電子署名技術を開発
2013高線量率環境対応のガンマカメラを開発

2014原子分解能・ホログラフィー電子顕微鏡を開発
2014「組織活性度」を計測できる ウェアラブルセンサを開発

2014 ウォークスルー型指静脈認証技術を開発

2014 ウォークスルー型指静脈認証技術を開発

2014小惑星探査機「はやぶさ2」打ち上げ
2014理研による新元素ニホニウム名称決定

2015人工知能
「Hitachi AI Technology/H」を開発

1929 世界恐慌

1942 初の原子炉製作

1993キャピラリーアレイDNAシーケンサ

1987予見ファジイ制御の実用化
1987カラー液晶投射式
大型ディスプレイ装置の完成

20093kV級SICダイオードの試作
2009車載用リチウムイオン電池
2009薄型指静脈認証技術

2010 はやぶさ(探査機)、地球へ帰還

2011 アナログ放送終了、地デジへ完全移行

2012 東京スカイツリー開業
2012 山中伸弥教授、ノーベル生理学・医学賞受賞
2012 ヒッグス粒子発見
2012 ロンドンオリンピック開催

1935ナイロン発明

2016リオデジャネイロオリンピック開催

  • 日本の近代化が本格化する中、
    日立の挑戦が始まった

    1910年,自主技術の確立をめざす小平浪平翁が創業した日立製作所。幾多の苦難を乗り越えて軌道に乗り始めた1918年,「日立評論」は誕生した。創刊を強く提案したのは馬場粂夫博士以下,創業の志に共鳴して集った若き俊英たちであった。

  • 日立製作所創業

    小平浪平創業社長(1874-1951)

  • 好景気を背景にあくなき
    開拓者精神が実現した大躍進

    馬場博士自身の言葉によれば,創刊当初の編集は,「欠刊の止むなきに陥ったこともある気息奄々たるもの」だったという。しかし1920年に株式会社日立製作所として独立し,日立工場に亀戸,笠戸工場を加えて陣容を強化したことで掲載論文も一気に充実した。

  • 1924 電気機関車特集

  • 1927年頭総まくり号の誕生

  • 1920s
    HITACHI GRAPH

    1920年代から1930年代にかけて,本誌では毎号巻頭に最新の納入事例を写真で紹介していた。「HITACHI-GRAPH」と名付けられた連載は,事業拡大を進める当時の勢いを感じさせる貴重な資料である。

  • 新事業創生と総合技術で
    世界恐慌の危機を突破

    1927年の金融恐慌に続く1929年の世界恐慌で危機に瀕するものの,日立は経費節減に努めるとともに,新規事業開拓に邁進した。この時期,本誌には発電設備から家庭電化品,ディーゼルトラックに至るまで多彩な論文が掲載されている。

  • 1931大水素工業用電力施設特集

  • 1933大容量ミル電動機製作一般

  • 1937
    創刊20周年記念号

    本誌は創刊から5年ごとに記念号を発行してきたが,1937年6号「創刊20周年記念号」には34ページにわたって製品を紹介する「特集グラフ」が掲載されている。発電設備,電動機から家庭電化製品,ディーゼルトラック・バスまで網羅されており,当時の事業拡大が一目で分かる。

  • 戦時下に続けられた研究が
    戦後復興の礎となる

    戦争が激化する1944年6月にやむなく休刊したが,1946年10月には復刊した。日立は戦時中も基礎研究をたゆまず続け,戦後になると本誌に「平和建設は技術から」と記し,エネルギー,鉄鋼,物流など基幹産業の復興につながる開発に取り組んだ。

  • 1943電子顕微鏡の近況と応用

  • 1940s採鉱と採掘

  • 1948
    日立評論論文集

    戦時体制が強まった1944年6月,本誌は休刊に至った。戦後は1946年10月に復刊。中央研究所第二代所長の鳥山四男氏の発案により,戦時下でも絶えることなく続けてきた基礎的・学術的研究の成果に光を当てるため,本誌とは別に『日立評論論文集』を創刊し,11号発行を重ねた。

  • 戦後復興から経済成長をめざし
    技術開発を加速

    ブリュッセル万国博でグランプリ・金賞を受賞した電子顕微鏡とコンピュータは,情報通信・エレクトロニクス時代の先駆となる金字塔であった。英文版技術誌「HITACHI REVIEW」の発行など,本誌は技術のグローバル展開にも貢献していくこととなる。

  • 1955クロスバー式交換機(第1報)

  • 1958創刊40周年記念号

  • 世界が驚嘆した高度経済成長に
    技術で貢献

    新幹線,モノレール,超高速エレベーター,オンラインシステムなど本誌には高度経済成長を牽引するインフラを支えた輝かしい成果が並んでいる。「三種の神器」から「3C(カー,クーラー,カラーテレビ)」へ,生活水準の向上にも大きな実績を残した。

  • 1964東海道新幹線特集号

  • 1964座席予約システム特集

  • 1960s
    相次ぐ記念号・別冊

    1960年代,高度経済成長期の日立製作所の躍進を反映し,多くの記念号や別冊が企画・発行された。下記3号では、駒井健一郎第三代社長と馬場粂夫博士が巻頭言を寄稿している。

  • 経済大国へ、先端技術の開発とともに
    社会課題に取り組む

    1970年の大阪万国博は未来への「夢」を提示した。本誌は,大型コンピュータシステム,LSI,核融合施設,ロボットなどの先端技術とともに,低公害技術や新エネルギー・省エネルギー技術にもいち早く光を当てて紹介してきた。

  • 1970
    万博特集号

    大阪で開催された日本万国博覧会は,延べ6,400万人が来場する空前の博覧会となった。本誌では別冊「万国博特集号」を発行し,日立グループの展示技術の全容を紹介した。

  • 1975特集 電子計算機

  • 科学技術立国に向けて
    世界的な研究成果が相次ぐ

    1980年代,「科学立国日本」をめざして基礎・基盤研究に力が注がれた。日立は超LSI技術や超電導技術などの研究を進め,1985年には基礎研究所を創設した。本誌は,64kビットDRAMや電子線ホログラフィーなど最先端の成果を掲載している。

  • 1980s日立の半導体黄金期

  • 1980sサイエンスに
    貢献するR&D

  • 1981小特集
    「新端末と端末技術」

  • 1986
    インタビュー記事「ハイライト」

    1986年1号より,最新開発技術や納入事例などに関して技術者自身に話を聞くインタビュー記事をスタート。以後,年頭発行の「日立技術の展望」に掲載し,その年ごとのキーパーソンが誌面に登場した。

  • グローバルな情報社会の実現を支える
    技術開発を牽引

    インターネットの本格的な普及に合わせて世界経済が拡大する中,日立はグローバル事業を強化するとともに英国ケンブリッジ研究所をはじめ研究開発の海外拠点を広げた。本誌は時代の変化に応じた誌面づくりに努めた。

  • 1993特集「環境保全に対する日立の取り組み」

  • 1995マルチメディア特集三部作

  • 1992
    座談会「テクノトーク」

    技術論文よりも親しみやすい連載記事として,1992年から特集テーマに関わるキーパーソンたちが語り合う座談会を毎号の巻頭に掲載。2016年まで続くこととなる。

  • 21世紀到来。
    世界をリードするグローバル企業への
    改革と挑戦

    21世紀を迎え,グローバル経済の進展とともに,官民を挙げて「ユビキタス情報社会」に向けたITの高度化が進められた。本誌は電子政府,ITS(高度交通システム),ライフサイエンスなどのテーマで特集を組んだ。2005年には通巻1000号を達成した。

  • 2001ノーベル賞受賞者と対談

  • 2005創刊一千号特別号

  • 2006
    連載対談シリーズ「フロントライン」

    2006年4号から科学ジャーナリストとして活躍する竹内薫氏を迎え,日立のキーパーソンとの対談を連載した。2008年からの1年間は社外有識者との対談に変え,西垣通氏,村上陽一郎氏,松井孝典氏(以上,東大名誉教授)らを招いた。

  • 持続可能な未来に向けて
    社会イノベーション事業を加速

    2010年に創業100周年を迎えた日立は,グローバルな社会イノベーション事業へと大きく舵を切った。サステイナブル社会の構築に向けて,デジタル技術と協創で社会イノベーション事業の進化をめざす日立の「今」を伝えるべく本誌は誌面一新を図った。

  • 2010日立創業100周年

  • 2017創刊100周年を前に
    誌面リニューアル

馬場 粂夫
(1885-1977)

1918
『日立評論』創刊

創刊にあたった馬場粂夫博士(当時は設計係長)は,「米国電気工師会誌及びGE評論を併したる如き形に進み」「新特許を紹介する事,新発見の研究事項を発表する事,カストマーの意見の貫徹を計る事」を目的とし,「技術の練磨,相互研鑽の場,学術振興」を念願にしたと発刊の辞に記している。B5判・48ページで,定価20銭であった。

  • 1910創業小屋

    日立鉱山付属の電気機械の修理工場。1910年に5馬力電動機を製作した。

  • 1910日立製作所を創業した
    芝内の工場

    1910年11月,鉱山下の宮田芝内に工場を建設して電動機,変圧器などの製造を開始した。

  • 1912製作番号1号の
    275馬力送風用電動機

    1912年より製作番号を付した1号製品。日立鉱山に納入され,小平記念館に保存されている。

  • 1910日立製作所創業
    小平浪平創業社長(1874-1951)

    1900年東京帝国大学工科大学電気工学科卒業。藤田組,東京電燈などを経て,1906年,久原鉱業所日立鉱山工作課長として発電所,鉱山施設を建設。電気機械の国産化を志し,1910年に日立製作所を創業した。

  • 1924自主開発で挑んだ
    国産初の大型電気機関車

    1920年,久原鉱業から独立した日立製作所は,日本汽船笠戸造船所(山口県)を譲渡され,笠戸工場として蒸気機関車をはじめ鉄道車両の製造を開始した。当時,鉄道省では東海道線の電化計画が進められ,電気機関車すべてを外国メーカーに発注する予定だったが,日立は大型電気機関車の自主開発に挑戦した。それまで鉱山用小型電気機関車の製作経験しかなく苦難の連続だったが,1924年に試作1号機が完成。翌年には鉄道省大宮工場での試運転に合格し,ED15形として東海道線を走った。日本企業が大型電気機関車を製作したことは世界が注目し,ニューヨークの新聞にも特報された。

  • 1924電気機関車特集

    大型電気機関車の開発は,日立工場が電機品,笠戸工場が車両を担当した。本誌の「電気機関車特集」(1924年10号)には,電動機の重量オーバーや温度上昇問題など難題を一つひとつ克服して国産初の電気機関車を完成した開発経緯を詳述した関連論文が多数掲載されている。
    1924年10号「電気機関車」特集(1)
    (PDF形式、11.38Mバイト)
    1924年10号「電気機関車」特集(2)
    (PDF形式、11.29Mバイト)
    1924年10号「電気機関車」特集(3)
    (PDF形式、11.09Mバイト)

  • 1927年頭総まくり号の誕生

    創刊10周年を迎えた1927年4号の特集「大正15年度に於ける我が邦製作界の成果」には,日立の電力設備,ポンプ,鉄道,運搬機械,家庭用製品などが網羅されている。日立,亀戸,笠戸の三工場体制のもとで業容を拡大してきた結果である。翌1928年1号から,馬場博士の命名となる「年頭総まくり号」として1年間の成果を一挙掲載するようになった。
    1927年4号 年頭総まくり号(1)(PDF形式、10.82Mバイト) 1927年4号 年頭総まくり号(2) (PDF形式、10.78Mバイト) 1927年4号 年頭総まくり号(3) (PDF形式、11.4Mバイト)

  • 1931大不況を乗り切った
    水電解槽

    1928年,不況による余剰電力を活用して硫安(硫酸アンモニウム)を製造する昭和肥料(現在の昭和電工)が設立され,日立は最大の技術課題であった水電解槽設備の開発・製造に名乗りを上げた。未経験の化学プラント一括受注は困難を極めたが,1931年に設備一式を完納した。

  • 1933「32年間無事故」を達成した
    製鉄用ミルモータ

    1933年,八幡製鐵所に納めた7,000馬力圧延用イルグナセットとミルモータ(圧延用電動機)は当時世界最大であり,水電解槽と並ぶ戦前の金字塔である。納入設備は32年間無事故運転を記録し,八幡製鐵所から感謝状を受けた。

  • 1931大水素工業用電力施設

    昭和初年の金融恐慌の影響で日本経済は停滞し,日立製作所の経営も危機に直面していた。活路を開いたのが水電解槽設備の開発であった。完納までに要した人数は延べ7,000名,研究報告書940件,試験報告書111件。本誌1932年9号「大水素工業用電力施設」特集には陣頭指揮を執った馬場博士をはじめ水電解槽と回転変流器に関する論文が一挙掲載されている。
    1932年9号 「大水素工業用電力施設」特集(1)
    (PDF形式、10.9Mバイト)
    1932年9号 「大水素工業用電力施設」特集(2)
    (PDF形式、11.22Mバイト)
    1932年9号 「大水素工業用電力施設」特集(3)
    (PDF形式、11.33Mバイト)

  • 1933大容量ミル電動機製作一般

    7,000馬力ミルモータは,水電解槽設備向けの6,000kW回転変流器の技術と経験を生かし,設計50日,工作110日の超短納期で完成した。巨大な設備を九州まで鉄道輸送するため,同サイズの模型を用いた実地試験をしたという逸話が残っている。本誌1933年9号には,「大容量ミル電動機製作一般」と題された馬場博士の総説を筆頭に,開発技術について詳述した論文が載っている。
    1933年9号 総説「大容量ミル電動機製作一般」(1)
    (PDF形式、12.8Mバイト)
    1933年9号 総説「大容量ミル電動機製作一般」(2)
    (PDF形式、12.69Mバイト)
    1933年9号 総説「大容量ミル電動機製作一般」(3)
    (PDF形式、12.90Mバイト)

  • 1942医学,材料研究に貢献した
    国産電子顕微鏡

    電子顕微鏡は1932年にドイツのルスカらが開発し,1938年頃に商品化された。日立は日立研究所で研究を始め,1941年に透過型電子顕微鏡HU-1形を開発,1942年に創設された中央研究所にて国産製品1号機となるHU-2形を完成し,名古屋帝国大学などに納入された。HU-2形の最大倍率は1万倍であった。

  • 1947戦後復興を担った
    コールカッター

    日本の戦後復興は,電力・エネルギー,鉄鋼,物流など基幹産業を立て直すことから始まった。これに応えて,日立は水力発電設備,炭鉱設備,製鉄設備,鉄道車両,漁業設備などの生産に重点的に取り組んだ。特に,鉱山設備の製作から出発した日立は,石炭の増産に向けてコールカッターをはじめさまざまな炭鉱設備を開発・納入した。1947年上期には炭鉱設備で40%のシェアを得た。

  • 1943電子顕微鏡の近況と応用

    1939年に日本の電子顕微鏡開発がスタートした際,中心的役割を果たした笠井完氏の跡を継ぎ,中央研究所で電子顕微鏡開発を担ったのは只野文哉氏である。本誌1942年8号の「電子超顕微鏡の試作とこれに関する二三の実験」,1943年7号「電子顕微鏡の近況と応用」において,HU-1形,HU-2形の開発内容について紹介している。
    1942年8号 論文
    「電子超顕微鏡の試作とこれに関する二三の実験」
    (PDF形式、8.92Mバイト)
    1943年7号 論文
    「電子顕微鏡の近況と応用」
    (PDF形式、9.38Mバイト)

  • 1940s採鉱と採掘

    当時,全国の炭鉱に納入した鉱山用電動機,ポンプ,巻上機,コールカッター,圧縮機,車両などを幅広く紹介している。 日立評論1939年10月号:製品写真(PDF形式、3.11Mバイト)

  • 1955電話の普及へ、
    国産クロスバー交換機を完成

    電話回線の自動交換・接続を行うクロスバー交換機は,1955年に日本電信電話公社(当時)が海外製品を輸入して商用試験を開始した。日立でも商用化に向けて研究を進めており,この年,国産クロスバー交換機1号機を完成。構内用として関西電力姫路第一発電所に納入した。翌1956年には日本電信電話公社蕨局(埼玉県)に納入した。

  • 1958ブリュッセル万国博で、
    グランプリと金賞

    1958年,ベルギーのブリュッセル万国博覧会で,日立が出品した電子顕微鏡(HS-6形,HM-3形)が最高賞のグランプリに輝いた。あわせて可搬形アナログコンピュータが金賞を受賞した。戦後日本の技術が再び世界に肩を並べるまでに復活した証として,日本はもとより世界から注目された。

  • 1955クロスバー式交換機(第1報)

    1955年10号掲載論文「クロスバー式交換機(第1報)」には,国産1号機となったWE形クロスバー交換機の技術が紹介されている。その後,1956年3号の第2報,1957年別冊の第3報と続き,開発技術を詳述している。上はそれらの集大成となる1958年別冊「通信機器特集号第3集」。
    1955年10号 論文「クロスバー式交換機(第1報)」
    (PDF形式、5.02Mバイト)
    1956年3号 論文「第2報」(PDF形式、2.36Mバイト) 1957年 別冊「第3報」(PDF形式、4.82Mバイト) 1958年 別冊「通信機器特集号(第3集)」

  • 1958創刊40周年記念号

    創刊40周年を記念する1958年11号では,カラーグラビアで電子顕微鏡と可搬形アナログコンピュータを紹介し,続いて倉田主税第二代社長,馬場博士の随想を掲載している。電子顕微鏡は,戦後,1948年にHS-4形を北海道大学に納入,1956年には初の輸出として,HS-6形を米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校に納入している。コンピュータは1951年に中央研究所で研究を開始し,1953年に国産初の製品化を実現した。
    1958年11月号「創刊40周年記念号」

  • 1964新幹線を支えた
    鉄道総合技術

    1959年,世界初の時速200km運転をめざす東海道新幹線建設が着工した。日立は1962年に新幹線の試作車両を製作し,モデル線区に投入された実績を生かして0系新幹線車両を製作。1970年までに214両納入した。また,新幹線の安全運行を支える各種制御装置の開発・設計も担当している。旅客サービス面でも国鉄(当時)と共同で日本初のオンラインシステムとなる座席予約システムMARS-1の開発を進め,1960年に首都圏9駅で運用を開始した。1964年には本格的なオンラインシステムとしてMARS-101を開発し,1965年に「みどりの窓口」サービスが始まった。

  • 1964東海道新幹線特集

    東海道新幹線が開業した1964年の本誌には,高速鉄道時代の幕開けに貢献した日立の鉄道関連技術が幅広く紹介されている。1964年5号の「東海道新幹線特集」では,0系新幹線車両をはじめ,整流器・高圧電気品,主電動機・インバータ電動発電機,電車制御方式と制御機器,自動列車制御装置(ATC装置),周波数変換変電所,列車無線電話システムなどの関連技術を詳しく解説している。
    1964年5号 「東海道新幹線」特集

  • 1964座席予約システム特集

    1964年6号「座席予約システム特集」では,国鉄と共同開発したMARS-101に至る開発過程が詳細に紹介されている。掲載論文は座席予約装置のシステム設計,実時間処理方式の基本構想,リアルタイムプログラム・操作プログラム,中央処理装置,電信交換装置,自動システム建設工事などである。
    1964年6号 「座席予約システム」特集

  • 1974大規模情報システムを担った
    大型コンピュータMシリーズ

    1970年代,座席予約システムや銀行オンラインシステムなど当時の社会的要請に合わせ,高性能のコンピュータを開発・提供していく。神奈川工場では工場憲章の第一条に「世界一のコンピュータ製品をめざそう」を掲げ,多くの技術者・研究者が一丸となって最高性能に挑戦し続けた。 1974年に発表したM-180はIBM互換機で採用した技術を生かし,高性能・高機能化を図り,新たなシステムに適したトータルシステム構成が高く評価された。

  • 1979オンライン時代を支えた
    銀行ATM

    銀行オンラインシステムの普及につれて,現金を支払うCD(キャッシュディスペンサー)が普及し,駅前や商店街にもCDが設置されるようになった。さらに,現金の預け入れもできるATM(現金自動預け払い機)が登場する。日立製作所は1978年に銀行ATMを開発し,1979年に三和銀行(当時)に納入。日本航空の予約発売システムにも活用された。

  • 1975特集「電子計算機」

    大型コンピュータM-180は社内の各部門のスペシャリストを一堂に集めてプロジェクト型の研究開発を行った。1975年にコンピュータ用のデバイスを開発するデバイス開発センタを設立し,専用のLSIを開発した。「電子計算機特集」(1975年9号)では,ハードウエア,ソフトウエア,デバイスにわたり日立の総力をあげた開発が紹介されている。
    1975年9号 特集「電子計算機」

  • 198064kビットDRAMで
    世界を制す

    1972年,中央研究所は半導体メモリの4kビットDRAMの開発を始め,1975年に日本で初めて量産を開始した。その後,16kビットDRAMを経て,1978年に低電圧駆動タイプの64kビットDRAMの開発に取り組んだ。低電圧でも正確に信号を読み取る決め手となったのは,伊藤清男氏(名誉フェロー)が中心となって発明した「2交点セル」(折り返しデータ線配置セル)である。1980年に出荷を開始し,1981年には世界のDRAM市場で約40%のシェアを獲得した。

  • 1982量子力学の論争に幕,電子線
    ホログラフィーによる
    AB効果の検証

    電子線ホログラフィーは,電子線による干渉縞(ホログラム)を使った新概念の顕微鏡技術である。中央研究所は1967年にその原理を示し,1977年にホログラフィー電子顕微鏡を実用化した。この顕微鏡を使って,1982年に量子力学においてその存在の有無が論争になっていたアハラノフ・ボーム(AB)効果が存在することを立証した。1986年には世界の学界の反論に応えて完全なる検証を行った。

  • 1980s日立の半導体黄金期

    1970年代後半から1980年代後半までの約10年余りにわたって,日立は,日本だけでなく世界の半導体技術をリードした企業の一つであった。研究開発では,DRAMメモリ2交点セル方式の他にも,トレンチキャパシタDRAMメモリ,CMOS-SRAM高速メモリ,スタックキャパシタDRAMメモリ,ホットキャリア効果による寿命式,三次元トランジスタ(FIN-MOSFET),SHマイコンなどの世界的成果が相次いだ。本誌では定期で半導体特集を組み,それらを紹介した。
    1979年12月号 論文「コンピューター用超LSI」
    (PDF形式、3.25Mバイト)
    1984年7月号「OAを推進する
    マイクロコンピュータ関連LSI技術」特集
    1985年8月号「OAを推進する VLSI技術」特集 1986年7月号「情報産業を推進するVLSI技術」特集

  • 1980sサイエンスに貢献するR&D

    日立は1985年の創業75周年にあたって基礎研究所を設立し,従来の企業研究の枠を越えて国際社会に貢献するために,サイエンスに基づく基盤技術の創生をめざした。その中で生まれた代表的な成果が外村彰氏(後にフェロー)を中心とした電子線ホログラフィーである。本誌では1979年11号に「電界放射形電子顕微鏡による電子線ホログラフィー」を寄稿しており,その後も度々ハイライト記事に登場した。
    1979年11月号 論文「電界放射形電子顕微鏡による電子線ホログラフィー」
    (PDF形式、3.95Mバイト)
    1992年1号 ハイライト「電子線ホログラフィーの研究とAB効果の実証」
    (PDF形式、965.00Kバイト)
    1995年1号 ハイライト「世界で初めて高温超伝導磁束量子の動的視察に成功」
    (PDF形式、1.07Mバイト)

  • 1981小特集「新端末と端末技術」

    1970年代,急速に高度化するコンピュータ技術に対応する各種の専用端末装置が紹介されており,ATMは銀行端末の一部として位置づけられていた。1981年8号の小特集「新端末と端末技術」ではワープロ,グラフィック端末,プリンタ,ディスプレイなどの端末機器とともに,論文「金融機関の自動化機器(ATM,CD及びテラー窓口装置)」でATMについて詳述されている。
    1981年8号 小特集「新端末と端末技術」

  • 1995世界最高速を実現した
    大型汎用コンピュータ

    1990年代,インターネットの拡大とオープン化,ダウンサイジングが進む一方,拡大する市場ニーズに応えたのは,高速バイポーラECL回路と高集積CMOS回路を融合し,世界最高速を実現したMP5800である。「スカイライン」として世界市場を席巻した。

  • 1995脳機能解明に寄与する
    世界初の光トポグラフィ

    1995年に小泉英明氏(名誉フェロー)が中心となって開発された光トポグラフィは,近赤外線を照射して脳血流をとらえることにより,脳の活動の様子が分かり,新生児の脳機能の解明,ALS患者の対話装置の開発など,脳科学研究で新たな領域を開拓した。

  • 1998ヒトゲノム解読に貢献した
    DNAシーケンサ

    1996年から世界の研究機関が連携してヒトゲノム解読が進められた。日立では,神原秀記氏(名誉フェロー)を中心に96本のキャピラリーを全自動で読み取る高速・高性能の「キャピラリーアレイ型DNAシーケンサ」を開発し,早期のヒトゲノム解読に貢献した。

  • 1993特集「環境保全に対する
    日立製作所の取組み」

    1992年の地球サミットをきっかけに,地球温暖化をはじめとする環境問題がクローズアップされるようになり,環境保全に対する企業活動が本格化した。日立は公害問題がクローズアップされた当時から,大気汚染防止,水質浄化,廃棄物処理などの技術開発に取り組んできたが,1991年には環境本部を設立し,グループ一丸で取り組みを強化した。本誌でも1990年代を通して度々地球環境特集を発行している。
    1993年8号
    「環境保全に対する日立製作所の取組み」特集
    1996年7号
    「地球環境保全にこたえる日立グループの技術」特集
    1998年8号
    「日立グループの総合環境事業」特集

  • 1995マルチメディア特集三部作

    1990年代に入ると本誌は「工学技術研究誌」としての編集方針を見直し,幅広い読者に向けて日立グループの技術情報を発信するために,最新技術や製品の紹介に力点を移し,より親しみやすい誌面づくりに努めた。1995年8号から多くの事業分野をまたがる特集「マルチメディア」を組み,アプリケーション編,ネットワーク編,デバイス・コンポーネント編と3号を通して発行した。同号にはCD-ROMを添付したが,企業の定期刊行物としては当時,画期的な試みであった。
    1995年8月号
    「マルチメディア−アプリケーション編ー」特集
    1995年9月号
    「マルチメディア−ネットワーク編ー」特集
    1995年10月号
    「マルチメディア−デバイス・コンポーネント編ー」特集

  • 2001がん克服へ、
    陽子線がん治療装置の開発

    陽子線がん治療装置は,超高速に加速した陽子(水素の原子核)を身体に照射すると,ある一定の深さで完全に止まり,患部で一気にエネルギーを放出するため,がん細胞を効果的に攻撃できる。日立は,2001年に筑波大学陽子線医学利用研究センターに日本初の装置を開発・納入した。その後,米国テキサス州立大学MDアンダーソンがんセンターに納入,北海道大学との共同開発などで世界をリードしている。

  • 2009鉄道発祥の地・英国に
    高速鉄道車両を納入

    ドーバー海峡からロンドンに至る高速新線に高速鉄道車両を導入する計画に対して日立は,既存車両に最新の駆動・制御装置を搭載して各路線を走る長期走行実証試験を行った。その結果,2005年に高速鉄道車両174両と車両保守事業の受注に成功,2009年12月に営業運転を開始した。その後もIEPにおける車両製造と保守事業,車両生産工場の新設,鉄道運行管理システムの受注などの広がりを見せている。

  • 2001ノーベル賞受賞者との対談

    21世紀に入って初の発行となる2001年1号では,ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈氏を招いた記念対談,元東大総長の吉川弘之氏らの寄稿を掲載した。続く2002年1号でも,ノーベル化学賞受賞者の白川英樹氏との対談を掲載するなど,日本の科学界を代表する著名人が誌面に登場した。
    2001年 特別号 対談記事
    「創造力」がつくる21世紀の新たな価値
    (PDF形式、8.08Mバイト)
    2001年1号 対談記事
    「新しい発想と自由な連携が開く未来」
    (PDF形式、5.05Mバイト)

  • 2005創刊一千号記念特別号

    2005年5号をもって創刊から通巻1000号となり,同号を記念特別号として発行した。他社のR&D役員を迎えた座談会,5名のフェローによる特別寄稿,各分野のR&D最先端を総説する論文などを掲載した。さらに同年11月にはMIT(マサチューセッツ工科大学)名誉総長のチャールズ・M・ヴェスト氏をはじめ,国内外の有識者を迎えた記念フォーラムを開催し,登壇者のインタビュー記事,講演抄録を掲載した別冊をそれぞれ作成した。
    2005年5号 創刊一千号記念特別号

  • 2015顧客協創のための方法論
    「NEXPERIENCE」

    顧客とともに事業機会を探索,発見し,サービス事業を協創する方法論「NEXPERIENCE(ネクスペリエンス)」を体系化した。これは,将来の事業機会の発見からビジネスモデルの設計,事業価値のシミュレーションまで,顧客の目的に応じて幅広いフェーズをカバーするもので,一連の協創を促進する手法とツールにより,質の高い議論や独創的アイデアの創出を促進し,社会イノベーション事業創生を加速する。

  • 2016デジタルで価値をつなぐ
    IoTプラットフォーム
    「Lumada」

    ITとOTの実績,幅広い知見を生かし,顧客との協創による迅速な価値創出・課題解決をめざすIoTプラットフォーム「Lumada」を開発した。産業,交通,エネルギー,金融,ヘルスケアなど,幅広い事業分野で実績を上げてきたユースケースをソリューションコアとして蓄積し,これを活用したデジタルソリューション事業を通じ,世界の顧客とともに価値創出に取り組んでいく。

  • 2010日立創業100周年

    2010年,日立製作所は創業100周年を迎えた。本誌では2008年から記念連載シリーズ「開拓者たちの系譜」を2年間掲載したのを皮切りに,2010年4月号から翌2011年3月号までを創業100周年記念特集シリーズとして発行した。また同年7月には「100年後の未来をめざす技術の使命」をテーマに創業100周年記念「日立技術フォーラム」を開催し,その講演録を本誌別冊として発行した。
    創業100周年記念連載企画 2010年 日立創業100周年発刊号一覧 創業100周年記念連載企画 開拓者たちの系譜

  • 2017創刊100周年に向けて
    誌面を全面リニューアル

    デジタル技術と協創で社会イノベーション事業の進化をめざす日立グループの「今」を伝えるべく本誌は2017年から誌面構成を大きくリニューアルした。従来,事業分野に合わせた特集テーマを掲げ,論文中心に発行してきたが,社会・市場の観点から旬なビジネステーマを掲げ,前半には世界トレンドや有識者の声などを紹介するカバーストーリー,後半にコア技術を詳述する論文で構成することとした。また、合わせて,ウェブサイトをリニューアルした。オープンアクセスをキーワードに,どのデバイスからも情報が引き出しやすいデザインと,過去の論文ライブラリの共存を実現。幅広い層のユーザーにとって有益なサイトをめざしている。
    2017年 発刊号一覧

  • 馬場 粂夫(1885-1977)

    1910年に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業,久原鉱業に入社。主に研究開発部門を率い,常務取締役を務める。「大変人」と称して研究開発者を養成し,品質向上に尽力した。